瑩山紹瑾

2010/6/26 | 投稿者: 鹿苑院

私は参加できなかったが、先日行われた祖父の百箇日法要で、増築したトイレの場所が悪いから最近悪いことばかり起こるという話になったらしく、導師を務めた曹洞宗の住職が「それならお祓いしましょう。」とやってくれたらしい。

浄土真宗ではこういうことは一切気にしない。お祓いなんてしないし、家相がどうのという話も無視だ。曹洞宗も道元の時代にはそうだった。こういうことをやりだしたのは曹洞宗第四祖・瑩山紹瑾からである。

道元という人は釈迦以来の仏法の正統を意識することが強い人で、ひたすらストイックな禅をし続けた。しかしそれゆえに一般大衆には付いていくことができず、曹洞宗は法灯が絶える寸前であったらしい。瑩山の登場により、祈祷とか占いとか現世利益とか、いわば「俗っぽいもの」を取り入れることにより曹洞宗は人気を取り戻し、今日の隆盛に至る。しかし勿論、道元のストイックさを慕う人々からは相当な批判が集まった。今でも道元の永平寺と瑩山の總持寺は仲が良くないらしい。

瑩山のやり方を悪いとは俺は思わないのだけど、同じく滅びかけていた浄土真宗の中興の祖・蓮如が親鸞の教えを改変することなく布教に成功したことと比較すると興味深いものを感じる。それだけ本質的に念仏というものは大衆的で、禅はそうでないということなのかもしれない(禅の悪口を言うつもりはない。釈迦が坐禅によって悟りを開いた以上、禅の正統性を私は認識しているし敬意も持っている。もし上記の文が禅への批判に聞こえたら許してほしい)。
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2010/7/3  19:05

投稿者:鹿苑院

兜率天なのに弥勒菩薩が出てこないとはまた驚きました。

阿弥陀如来がブームになる以前は弥勒信仰が流行っていたというようにイメージしています。特に天智天皇・藤原鎌足のコンビは熱烈な弥勒信者だったようですね。

2010/7/3  5:42

投稿者:tenjin95

> 管理人様

永平寺には「三世仏」が安置されていて、過去・阿弥陀、現在・釈迦、未来・弥勒という三体の仏陀像があります。ただ、これは永平寺三世の時代に安置されたという見解もあります。

道元禅師の兜率天への上天思想には、弥勒が出て来ません。理由は明らかで、次に仏陀になるのは、その兜率天に行った本人だからです。この場合には、道元禅師をはじめとした禅宗の附法蔵の弟子ということになります。

なお、大乗仏教と弥勒という視点では、拙僧自身未だ不明瞭な理解に留まっていますが、平安時代末期から鎌倉時代初期の日本仏教という観点でなら、一定の理解を持っています。

それは、その時代、南都仏教の僧侶達は、自分たちを救ってくれる存在なら、誰でも良かったといわんばかりに多様なる信仰を持っていました。流行っていたのは、弥勒菩薩・観音菩薩、そして阿弥陀仏です。解脱房貞慶などは、その典型ではないでしょうか。

http://blog.goo.ne.jp/tenjin95/

2010/7/3  1:38

投稿者:鹿苑院

つまり只管打坐オンリーではなくなったということですね。

兜率天ということは弥勒菩薩信仰ということだと思いますが、弥陀一仏のはずの真宗大谷派本山・真宗本廟(旧東本願寺)にも山門内に弥勒菩薩像が実はあるんです。やはり大乗と弥勒菩薩は切っても切れない関係ということなのでしょうか。

2010/7/1  23:18

投稿者:tenjin95

> 管理人様

上天には、現世での徹底した修行と、祖師からの嗣法(正式な仏法の伝持者になること)が必要なので、その意味では、よく言われる「只管打坐」とは、少しも反するところはありません。ただ、それまでは「只管打坐」で、成仏の「必要十分条件」だったのが、ただの「必要条件」になったという違いがあります。

http://blog.goo.ne.jp/tenjin95/

2010/6/27  23:12

投稿者:鹿苑院

道元禅師の曹洞宗は悟りを開くという目標さえ念頭に置かずただひたすら坐り続けるというものだと思っていましたから、今回こういうお話を聞いたことは大きな驚きでした。栄西禅師が天台密教の僧でもあったこととは関連性があるのでしょうか。

2010/6/27  16:00

投稿者:tenjin95

> 管理人様

道元禅師が晩年に、兜率天に上天したいという願いを持っておられたこと、本気で考え論じられるには、幾つかの「ハードル」を超えねばなりませんでした。まずは、その語録である『永平広録』の研究と、晩年に書かれた『正法眼蔵』のみを集めた『12巻本正法眼蔵』の発見です。

そのどちらもが、近代(明治時代以降)になってからの発見でしたが、これにより、兜率天への上天信仰の研究は遅れました。理由は、禅宗への誤解や偏見から、「生まれ変わり」などは一切信じるべきではないという見解が修行道場内で盛んになり、結果、それに引きずられる形で、学者の間でも上天信仰を、誰も本気で考えてこなかったという体たらくでございました。

結果、坐禅成仏・出家成仏など、耳障りの良い、単純な教えのみ語り継がれてきたというのが実際のところです。無論、若い研究者の間では、近代仏教学の弊害を乗り越えようとする見解も出ています。拙僧も、その1人です。

http://blog.goo.ne.jp/tenjin95/

2010/6/26  15:21

投稿者:鹿苑院

もしこの文章に誤りがあれば、tenjin95さんがきっと指摘してくださるだろうなとやや甘えにも似た気持ちを抱きながら実は書きました。トラックバックもちゃんと読ませていただきました。

それにしても、道元禅師が晩年に兜率天に生まれ変わるための教学を作り始めていたとは驚きました。それは当然、現行の曹洞宗とは異なる教えなわけですよね? その内容は現在の曹洞宗ではどう受け止められているのでしょうか? 道元禅師が最後に辿り着いた思想であれば、今までの教学はスポイルしてでもそちらを採るべきということを言い出す人が出てきてもおかしくないと思いますが、そういった動きはあったのでしょうか?

2010/6/26  14:05

投稿者:tenjin95

> 管理人様

比較的「大御所」といわれる学者先生も、大体ご指摘の様な「通説」を書かれてしまうので、仕方ない面もあるのですが、是非、管理人様には「真実」を知っていただきたく、敢えて申し上げます。

まず、道元禅師が祈祷などの現世利益を否定したというのは「嘘」です。永平寺にいたとき、雨続きだったので、晴れを祈る法要をした記録があります。また、密教系の陀羅尼を唱えていたことも確認されていますので、瑩山善治に到って密教化したというのも「嘘」です。

また、道元禅師は晩年、来世に兜率天に生まれ変わりたいと願いだし、そのための新たな教学を作り始めていました。体系化のための、『新草正法眼蔵』を執筆始めましたが、途中で亡くなりました。

永平寺と總持寺の仲が悪いというのは、鎌倉時代に淵源があるのではなく、近世に入って、僧侶の「瑞世」という制度をめぐっての利権争いが原因です。その後、「道元禅師は純粋禅、瑩山禅師は密教禅」という「誤った評価」が確立されて現在に至ります。

瑩山禅師について、後代に色々とつけ加えられた文脈を削って、その実際の伝記を見てみますと、道元禅師と同様の坐禅中心の修行をしていたことが良く分かります。そして、確かに、一部で道元禅師につけ加えたこともありますが、完全な意味で新たに付け加わったことは、ほとんど無いといって良いと思います。それを論証した記事のトラバ、打っておきます。合掌

http://blog.goo.ne.jp/tenjin95/

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