偶像崇拝について

2009/5/30 | 投稿者: 鹿野苑

インドやヨーロッパの古い仏像・神像には顔が剥ぎ取られていたり、首が切られていたりするものが珍しくない。これすなわち、イスラム帝国の支配時に偶像崇拝否定の原理に基づいて行われた現象である。バーミヤンの大仏が無様・貧ラディンの率いるタリバンによって爆破されたことも記憶に新しい。イスラム教が悪い宗教だというつもりは毛頭なく、むしろ私は好意を持っているけど、こういう文化遺産を破壊する行為は決定的にくだらない。

実は仏教もキリスト教も初期には偶像崇拝を禁じていた。仏教に関して言えば絵伝などでも釈迦の姿は描かず、法輪や菩提樹を描くことで釈迦の姿の代用としていたくらいだ。仏像なんてとんでもなかった。何故そうなのかというと、釈迦は自らが神のように礼拝されることを良しとしなかったからだ。仏教とは自然の法則を明かすものであり、帰依するべきはその自然の法則(後に擬人化されて阿弥陀如来とか大日如来と呼ばれる)であって釈迦という人間ではない。ところがガンダーラにギリシャの神像を作る技術が伝わってきて初めて仏像が作られ、今に至る(仏教の本質を歪めさえしなければ全然悪いことではない。仏像の美しさに魅かれて仏教に出会う人も多いし、私もそうだった)。
ただ、我が開祖・親鸞聖人などは美的感動を仏教の本質を理解したことと混同してもらっては困るという理由から名号本尊を発明した。すなわち紙や絹布に墨で「南無阿弥陀仏」と書いたものを仏像の代わりに拝むわけである。法輪や菩提樹を釈迦の姿の代わりにしていた初期仏教に通ずるものを感じる。ただし聖人も仏像を否定したわけではないということはきっちり明記しておく。
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2009/5/31  21:20

投稿者:鹿野苑

tenjin95さんの書き込みはいつも勉強になります。とりわけ禅や道元禅師に関しては専門外なので、新鮮な知識が多いです。いつもありがとうございます。
永平寺には、確か阿弥陀如来像も本堂にありましたよね(行ったことはなく、本で読んだ知識ですが)。
親鸞聖人も阿弥陀如来像や聖徳太子像、自刻像を各地で彫っておられます。例えば京都の真宗本廟(通称東本願寺)の御影堂の聖人像は自刻のものです。

http://moon.ap.teacup.com/sarnath0426/

2009/5/31  14:26

投稿者:tenjin95

> 管理人様

禅宗の場合には、基本的に外的な何かに信仰の対象を置くことはないので、一般的に偶像崇拝を禁止していると思われがちですが、そうではなくて、禁止することもまたとらわれだと見なすため、積極的に仏像を作ることもします。道元禅師も、越前の大仏寺(後の永平寺)に、自彫の釈迦牟尼仏像を置いたとされています。

http://blog.goo.ne.jp/tenjin95/

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