光明寺縁起

2021/7/25 | 投稿者: 鹿苑院

法然上人24歳の頃、すべての人が救われる教えを求めて奈良に修行に向かう途中、高橋茂右衛門という人の家に一夜の宿を取った。
「その尊い教えが見付かったらぜひ教えてください」という茂右衛門夫婦との約束を覚えていた上人は、念仏の教えについに出逢うと真っ先に茂右衛門方を訪れ、最初の説法をした。この故地が現在の粟生野光明寺である。
すなわち光明寺はいわば法然上人初転法輪の地である。上人をもし釈尊に擬すなら、この地は鹿野苑といえる。私、鹿苑院にははずせない聖地と言えよう。

光明寺は浄土宗西山派の総本山である。京都を中心に広まっていたことが仇となり応仁の乱で甚大な被害を受けたうえ、徳川家康が知恩院を総本山とする鎮西派を保護したために西山派はずいぶん衰えた。
家康ファンの僕には徳川家の菩提宗としての鎮西派のブランドは目がくらむほど眩しいものだが、どうにも教えを精細に比較検討すると西山派の方が頷けることが多い。西山派は浄土真宗に双子のように似た教義なので、真宗育ちの僕には受け入れやすいのだろう。
なお家康の従兄弟が知多の西山派・常楽寺の住職だったりするので、必ずしも徳川氏が西山派に対して暴虐だったわけではない。

光明寺は法然上人の遺体を荼毘に付し埋葬した地でもある。知恩院の御廟にある遺骨もここから分骨されたものである。
そうしてみると、鎮西派をライバル視するのではなく、いわば浄土宗の嫡流たる西山派からの分家筋と思ってやれば穏やかな気持ちでいられる。
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