自力他力バッサリ

2020/11/3 | 投稿者: 鹿苑院

これを書いた時から自分の中で燻っていた自力他力問題。
鎮西派の主張としては、「弥陀の本願という船に乗れば浄土という彼岸には必ず着けるけど、船乗り場まで足を運んだり乗船券を買ったりするぐらいはやらなきゃいけないんじゃないか」というもので、それもそれで一理ないわけではない。

この問題について、西山派祖・証空上人と鎮西三祖・良忠上人の書いた文をそれぞれ読んでみるとまったく真逆の主張をしていて、どちらも読むと「あー、そうだよな」と思わせる説得力があるので困る。いつまでも結論が出ない。

それで困っていたら、時宗宗祖・一遍上人の言葉に出会った。

「世の人おもへらく、自力他力を分別してわが体をもたせて、われ他力にすがり往生すべしと、云々。この義しからず。自力他力は初門のことなり。自他の位を打ち捨てて唯一念仏になるを他力とはいふなり。」

「わが体をもたせて」、つまり自分の考えで自力とはこれだ、他力とはこれだと解釈してそれにすがろうとするのは初心者じみた事だと。そんな事ゴチャゴチャ考えんと念仏したらええんや!それが他力や!と前田日明ばりにバッサリ切り捨てている。快刀乱麻の鮮やかさ!
完敗である。でも気持ちいい。
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