いくらなんでも何万回もはね…

2020/8/29 | 投稿者: 鹿苑院

近頃はどこからもお呼びが掛からないので、一昨日の休日は一日中浄土教の勉強をしていた。偉くもないし立派でもない。ただ楽しくてやっているだけだから。

さて、鎮西派の二祖・聖光房弁長上人の思想を調べていたら、こんな言葉が出てきた。

「他力とは全く他力を馮み 一分自力無しといふこと、道理しかるべからず」

ざらり。ざらり。
う〜む、受け入れにくい論である。

西山派および真宗では他力100%の教えだが、鎮西派ではちょっとは自力修行もしろと言っているわけだ。その自力修行とは具体的に何かと問われたら、とにかくたくさん念仏を回数勝負で唱えまくれという「多念」である。
法然上人は一日に6万回念仏を唱えていたという。鎮西派ではそれにならって何万回も念仏するのを良しとする。
さて、ここはどうだろう。
1回1秒としても6万回なら16時間半を超える。それだけで一日が終わってしまうではないか。それを毎日? 無理無理。

そもそも旧来の南都六宗・真言・天台に代わって念仏宗が広まったのは誰にでも実践できる易しい教えだからではなかったのか。
暇を持て余した金持ちならともかく(それでもしんどいが)、生業に忙しい庶民が一日のうち16時間半以上も念仏だけし続けるのはとても易しい教えとは言えない。普通に難行である。
である以上、少なくとも多念を教えのメインとして法然上人が人々に勧めたわけではおそらくあるまい。
0



コメントを書く

名前
メールアドレス
コメント本文(1000文字まで)
URL





AutoPage最新お知らせ