玄奘三蔵との再会

2020/8/6 | 投稿者: 鹿苑院

僕と仏教との馴れ初めは祖父の死なのだが、実はそれ以前にも接触はあった。西遊記である。
もちろん子供のことだから如意棒と仙術を駆使して闘う孫悟空がカッコイイというぐらいの動機だったが、僕は夢中だった。小学生時代、読めない漢字に鉛筆でルビを書き込みながら読んだポプラ社文庫の吉本直志郎版西遊記は今でも宝物だ。

玄奘三蔵は旅の途中で苦難に直面すると般若心経を唱えて災厄を除けていた。これは西遊記のみならず史実の玄奘も同じである。
西遊記においては猪八戒を仲間に加えた直後、彼の紹介で烏巣禅師から般若心経を教わることになっているので何の問題もないが、史実の玄奘の場合はちょっと疑問が発生する。
今広く知られている般若心経はインドから持ち帰った経典を玄奘が唐で翻訳してできたものだからだ。旅の往路であの般若心経を読むことは時系列的に不可能である。
では玄奘が旅の苦難を般若心経で除けていたのが嘘かというとそうでもない。玄奘以前にも般若心経は漢語訳されていたからで、おそらく玄奘はそれを唱えていたのだろう。鳩摩羅什など、サンスクリット経典を漢訳した人は多くいて、むしろ玄奘はその翻訳家たちの中では後発の方である。

ま、ともかく般若心経といえば玄奘三蔵というくらいに関わりが強いが、その般若心経とは僕は今までほぼ無縁だった。浄土真宗では般若心経を取り扱わないからだ。西遊記で仏教に親しんだのがすべての始まりなのに、玄奘ゆかりの般若心経と縁を持てないのはどこか寂しいと思っていた。
人生の挫折を機に浄土宗に片足つっこむようになって、浄土宗の経本も手に入れてみると般若心経が載っていた。玄奘、いや、お師匠様との再会という気持ちである。
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