その後の土岐頼芸

2019/6/30 | 投稿者: 鹿苑院

今読んでいる「国盗り物語」はもうすぐ斎藤道三の死を迎える。死を悟った道三はかつて自らが追放した土岐政頼・頼芸の位牌を参拝するというシーンがあるがこれはおかしい。だって上巻で司馬遼太郎自身の筆で、土岐頼芸は80歳過ぎまで生きた旨が書かれているからだ。筆者のミスである。

そこで頼芸がいつ死んだのかを調べてみると、天正10年12月と出てきた。道三どころか信長が死んでもなお半年をこの前美濃守護職は生きていたことになる。
ただし亡命した没落大名が平穏な生活を送れたわけではなく、遠く弟が養子に入っていた常陸にまで落ち延びたりしているが、最後に落ち着いたのは甲斐だった。武田家の庇護を受けて生活していたことになる。この亡命生活のいずれかの時期に病で失明という過酷な体験もしている。

天正10年の信長による甲州侵攻の際に織田軍に発見され、稲葉一鉄のはからいで美濃に帰ったのが実に30年ぶりである。そこで没したので墓所は美濃の谷汲にある。
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