岐阜中納言を擁護する

2019/1/16 | 投稿者: 鹿苑院

関ヶ原の戦いの前哨戦で、西軍についた岐阜城主の織田秀信(信長の孫)は籠城を勧める老臣たちの言葉を却下して野戦に及ぶ。これに敗北してから籠城したがすでに敗勢は覆い難く、降伏開城となった。

野戦を選んだ秀信の判断を責める言論が多いが、籠城をせずに一歩でも外に出て戦うのは曽祖父信秀以来の織田家の伝統であり必勝法ではなかったか。信長も籠城の勧めを蹴って出戦し、桶狭間の金星をあげている。おそらく秀信の脳裏には桶狭間における祖父の輝かしい成功があったことだろう。

ましてや、寄手にはかつて岐阜城主だった池田輝政がおり城の構造を熟知している。籠城は最初から不利であり、野戦を選んだのは極めて合理的な判断だったと言えるのではないか。それで負けたのなら最初から籠城していても負けただろう。秀信の判断、間違いだとは思えない。
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