井上義啓追悼本『殺し』 読了

2018/7/26 | 投稿者: 鹿苑院

このところ、一人の故人のことばかりを考えている。週刊ファイト元編集長・井上義啓氏(通称:I編集長)。なおI編集長のことは過去にも書いた。
プロレスに哲学的・文学的意味を与え、それはそれは深い見方をする『活字プロレス』はこの人が元祖である。弟子にターザン山本、金澤克彦の両氏がいるといえばその偉大さがわかる。

I編集長が世を去ったのは2006年。K-1やPRIDEのブームの陰でプロレスが未曽有の不況に喘いでいた暗黒時代の真っ只中である。
僕のように心が狭いプロレスファンと違ってI編集長はK-1やPRIDEにも造詣が深く、それらとプロレスの良い所を融合した「プロ格」に移行せねばプロレスは生き残れないと晩年はずっと書いておられた。
先日読み終えた下記の本のタイトルにもなっている『殺し』がレスラー・格闘家にはなければならないと言うのがI編集長の口癖だった。
『殺し』とはまあわかりやすく言えば、たとえ筋書きのある試合だったとしてもいざとなれば相手を殺せるぐらいの実力に裏付けられた殺気とでも理解すればいいだろう。
一方で、昭和的な深い見方とは無縁のライトなプロレス・格闘技ファンを「平成のデルフィン」と呼んで批判的であった。


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今、プロレスは見事に人気を取り戻し、復興を果たした。まずは親愛なるI編集長にこのプロレスの隆盛を見てもらいたかったと惜しむ気持ちが僕の胸中を占めているのだけど、ではもし本当に今のプロレスを見たらI編集長がなんと言うだろうか──このことを最近ずっと考えているのだ。
一昔前のような乱闘も流血もなくなった今のプロレスを支持するファンは紛れもなく「平成のデルフィン」であろう。『殺し』のないプロレスが一世を風靡し、「プロ格」に移行しなくてもプロレスは生き残った一方で、K-1やPRIDEは滅んだ。
ということは最後のI予言ははずれたようにも思えるし、昭和的な活字プロレスがなくなってデルフィンが跋扈する未来を予言しておられたようにも思える。このことを考え出すと、それこそ「底が丸見えの底なし沼」にはまっていく。

実は学生時代に大阪の街を歩いていたら、I編集長によく似た人が自転車でゆっくりと目の前を通り過ぎたことがある。本人だという確信が持てなかったので話しかけられなかったし、今思っても当時のI編集長にしては若すぎるように思えるからおそらく別人だったろう。
希望するファンには喫茶店で持論を何時間でも語る、「喫茶店トーク」が有名だった。頼めば会えるチャンスはあったかもしれない。亡くなる前に会っておきたかった人である。
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