倒幕思想の萌芽

2018/5/24 | 投稿者: 鹿苑院

11代将軍・徳川家斉は子供の数53人の日本記録保持者である。将軍になれた家慶と嫁に行ける女子はまあ良いのだが、問題は他の男子である。
跡継ぎでない男子というのは「部屋住み」といって、跡継ぎのはずの男子が死んだ時のための補欠として生きていることだけが仕事になる。彼らが無為徒食するにももちろん経費がかかるので、ただでさえ苦しい幕府の財政をさらに圧迫することになる。補欠といったって何十人も要るわけでもない。

そこで、諸藩の大名に養子として押し付ける作戦になる。すでにれっきとした跡継ぎがいる藩にでも、「おたくの跡継ぎ大丈夫? 身体が弱いって聞いたよ? 生まれつき頭がアレという噂も聞くじゃないか。おたくのような名門の家の跡継ぎがそれじゃ心配だよねー。どう? うちの子もらわない? 将軍家からの養子ならおたくにも箔が付くよ?」と強引に押し付けるものだから、断り切れずに何の落ち度もない跡継ぎを廃嫡して養子を迎えざるを得ない藩もあった。
尾張藩はまんまと押し付けられた。水戸藩はうまく拒否できたが、危うく廃嫡されかけたのが後の烈公・水戸斉昭である。

こういう事をしているとれっきとした家の血を引く跡継ぎを廃嫡させられたorされそうになった恨みから藩士の間で幕府への反発が生まれるのは当然のことで、幕末に佐幕派と勤王倒幕派に分かれての争いが諸藩内部で起こるのはこれを遠因としている。
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