武家寄りの朝廷

2016/4/27 | 投稿者: 鹿苑院

司馬史観ならぬ鹿苑史観では、東国の武家と京の公家の主導権争いを日本史の軸とする。この対比を見た場合、オレはガチガチの東国武家贔屓である。
これゆえに、オレは右翼を自認しているけど持明院統(北朝)を天皇家の正統と考えているので異端的な右翼でもある。大抵の右翼は大覚寺統(南朝)正統論を奉じているのがお決まりだからだ。武家政権(=幕府)を認めてくれる朝廷が良い朝廷だとオレは考えている。

両統の分裂は元々、後嵯峨上皇のわがままから始まっている。一度は長男の後深草天皇に譲位したが、無理矢理退位させて偏愛していた次男に譲位させ亀山天皇とした。後深草上皇はこれを不服としたため、鎌倉幕府の仲裁で両方の子孫が交代で帝位に就くことになった。後深草上皇の血統が持明院統、亀山天皇の血統が大覚寺統である。
この成り立ちから考えると、わがままだろうがなんだろうが後嵯峨上皇のおっしゃることは正しいのだという考え方から見れば大覚寺統正統論になるし、どんな偉い地位にいる人でもそんな横車を押すようなことはしちゃいけないよと考えれば持明院統正統論になる。オレは後者である。

両統合一この方、日本の天皇家は現在に至るまでずっと持明院統である。大覚寺統正統論が優位になったのは水戸学からなので、それが成立した江戸初期から昭和の敗戦まで日本の右翼の多数派は口に大覚寺統正統論を唱えながら持明院統の天皇を戴くということをやっていたのだが、そこを矛盾と感じる人はあまりいなかったようだ。
オレは元々持明院統寄りなので、そういう余計なファクターなしに現天皇家にすんなり好意を持てる。武家の幕府はなくなってしまったが、持明院統が江戸に座っておわすのは武家贔屓として気分の悪いものではない。
0



コメントを書く

名前
メールアドレス
コメント本文(1000文字まで)
URL





AutoPage最新お知らせ