室町幕府初代副将軍

2015/11/25 | 投稿者: 鹿苑院

くだんのクイズ番組からもう一つ。例の伝・源頼朝の画像を指して、日本史の先生が「これは最近では足利尊氏の弟だと言われているんです」と解説していた。南北朝クラスタなら全員同じことを思ったであろう。「ちゃんと名前で呼んでやれよ」と。
今のところ、いわゆる歴女も三国志と戦国と幕末にしか目が向いていないようだが、もし南北朝にその目が向いたらその尊氏の弟こと足利直義はかなりの女性人気を得るだろう。時代の中心にいた重要人物なのに「尊氏の弟」としか解説されないのは南北朝時代そのものがマイナーな証といえる。

直義の末路は日本史上最大規模の兄弟喧嘩と言われる観応の擾乱(わざと「官能の情乱」と誤変換するやつが後を絶たない)で尊氏に敗れ、降伏後すぐに不審な死を遂げていることから、尊氏が毒殺したという説が半ば定説化している。同時代のリアルタイムな記録である太平記にすらその疑惑は書かれているので当時の人もそう思ったということだろう。

初代将軍の弟でありながら兄弟喧嘩の結果、兄に殺されるという共通点から源義経と比べられることが多いが、直義は伝統と規律を重んじる文官タイプで戦は下手だったので、義経とは正反対な性格と言っていい。
また、頼朝はあまり義経に兄弟としての情を持っていなかった感があるが、尊氏・直義兄弟はある時期までは非常に仲が良く、初期の足利幕府の実務はほとんど直義に委任されていたくらいである。「直義がいつまでも元気でいてくれますように」と尊氏が書いて石清水八幡宮に捧げた願文まである。
つまり、頼朝・義経兄弟は「喧嘩するべくして喧嘩した兄弟」だが、尊氏・直義兄弟は「なんで喧嘩する羽目になったのかよくわからない兄弟」なのだ。

…ここまで読んでくださった方がもし、直義を「なおよし」と読んでいたとしたら、オレとしては「ああ、やっぱり南北朝時代はマイナーなんだな」とガッカリする次第である。
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