儒教は仏敵なり

2015/7/25 | 投稿者: 鹿苑院

こういう生意気な性格なので、学生時代にはいろいろな嫌がらせを受けた。高校時代に靴が何者かに隠されたことがあるのだが、その場に居合わせたクラスメートの言葉には驚いた。
「仕返しに誰かの靴を隠したれ」
その発想にも驚いたが、それを仕返しと表現していることにもっと驚いた。犯人をつきとめてそいつの靴を隠すなら確かに仕返しと言えるが、関係ない誰かにそれをやるのは仕返しでもなんでもなくただの八つ当たりである。

もっともこういう理論がまかり通っている世界があるらしい。
「1年ウジ虫、2年ハエ、3年神様」といわれる中学・高校生活(主に部活)で、先輩から理不尽な目に合わされた後輩には「3年生になるのが楽しみだ」と言うやつが多いらしい。その時には自分が後輩をいじめる側に回れるからであり、こういう理不尽なことは自分たちの手で終わらせようとは思わない。だって、「後輩に『仕返し』しなきゃ、自分たちだけいじめられて損だから」。
腐っているな、と思う。それならわざわざ年単位で待たなくてもその先輩を殴ればいいではないか。どうしてそんな簡単なことに気が付かないのだろう? 部活ばかりに夢中になって勉強しないから当たり前な理屈がわからないのだろうか?

19世紀に滅んでもなんら不思議ではなかった儒教が今も日本社会に根付いているのは、こういう歪んだ発想の持ち主たちの手によってであることは明白である。ちなみに隣の儒教大国では同じ発想で代々姑が嫁をいじめている。

釈尊が「恨みを捨てることによって恨みの連鎖は絶てる」と説いたことはあまりにも有名である。仏教と儒教とで正反対のことを言っていることに儒教嫌いの仏教徒としては満足である。
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