新田肩衝

2014/7/28 | 投稿者: 鹿苑院

肩衝茶入の王様といえば初花という認識が定着している。楊貴妃の油壺だったという伝説の艶やかさ、足利義政の所持品だった由緒の正しさ、三英傑に伝来され徳川将軍家の秘蔵の品となったゴージャスさ、どこから見ても肩衝の王にふさわしい。

ただ、初花が肩衝の王になったのは徳川将軍家云々というのが理由で、それ以前には新田肩衝が最高とされていたようだ。

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(写真は徳川ミュージアムHPより拝借)


新田という銘の由来ははっきりしない。おそらく所持者に由来するのだろうと想像されており、桑田忠親氏などは新田義貞が所持していたという説を主張しているが確証はない。まあ新田一族の誰かが持っていたんだろうというアバウトな説明がされていることが多い。

信長の名物狩りの対象となりその所有となったが、本能寺の茶会にはその名が見えないので安土城に置かれていたのだろう。そのことが本能寺の変の火災から新田を救うことになった。
その後、どういう経緯か大友宗麟が所有していたが、宗麟の豊臣秀吉への臣従の際に献上された。宗麟の臣従は大友領を圧迫していた島津家を討つのに秀吉の力を借りるためで、これにより秀吉の九州攻略が始まるが、その進軍中に秀吉はずっと新田肩衝に頬擦りしていたという。北野大茶会でも秀吉が茶を点てるのにはこれを使った(千利休は楢柴、天王寺屋宗及が初花)。

大坂落城の後、焼け跡から回収されて修復を受け、徳川家康の所有となる。同じパターンで回収・修復を受けた九十九髪茄子などはすぐに褒美としてその修復を担当した職人に下賜されているのに新田肩衝は家康が手元に置いたところを見ると余程に気に入ったのだろう。徳川家が新田源氏ということも大いに関係があるように思われる。家康は水戸頼房にこれを与え、以後、水戸徳川家に伝わる。

余談だが堀江姓は新田源氏であり、水戸にはみかこしの祖父母が住んでいる。新田肩衝はスタチャファンなら必見…なのかな?
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