筑前名島120万石

2014/4/29 | 投稿者: 鹿苑院

筑前名島は今の福岡である。かつて豊臣秀吉がこの120万石の領地を石田三成に与えようとしたことがあるが、「殿下のそばにいたい」という理由で三成が断り、近江佐和山19万石に留まった。

この話は本当だろうか? 秀吉の親戚に当たる福島正則や加藤清正でさえ20万石か30万石ほどだというのに三成が120万石というのは無理があると思える。
また、事実だとして三成が断った理由は彼の無欲な性格によるものと好意的に捉えることもできるが、蒲生氏郷も伊勢松阪から会津若松に移された時に「石高は増えたがこんな遠国ではむしろ損だ」と嘆いたという話があるから、京大坂に近い佐和山にしがみつくことには6倍の加増を断るだけの価値があったのかもしれない。

ただ、関ヶ原の時に実質上の大将たる三成が19万石分の兵しか動員することができなかったのは彼にとって痛手だったろう。そしてその時の筑前名島の領主が小早川秀秋という事実もなんとも皮肉である。
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