東の猛将

2008/4/24 | 投稿者: 鹿野苑

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西の猛将が立花宗茂なら、東の猛将は本多平八郎忠勝だ。徳川四天王の一人。生涯に57回の戦に出たが、一度として傷を負ったことがないという。鹿の角の兜が目を引く忠勝の代名詞ともいうべき甲冑は、身軽に動き回れるように軽武装だったらしい。一方、同じく徳川四天王の井伊直政は重武装なのに戦の度に負傷していたらしく、この二人の対比は家康を不思議がらせている(笑)。
徳川軍の先陣を務めることも多かったが、退却戦のしんがりの方が得意だったかもしれない。あの武田信玄を相手に一兵も損ぜず退却を成し遂げる(一言坂の戦)という奇跡も達成しているくらいだ。また、小牧長久手の戦では敵地に孤立した家康本隊に秀吉が大軍で迫るところを、わずか五百の兵で鉄砲を撃ち掛け挑戦した。これを見た秀吉は、自分が討ち死にしても時間を稼いで家康を救おうという忠勝の心を悟り、涙を流して忠勝隊と戦わぬよう命令したという(いくら忠勝が名将でも数十倍の秀吉軍相手に挑んだら命はなかっただろう。忠勝の心意気に応えた秀吉も立派である)。
忠勝は画像にもある通り、戦場には大数珠を肩に掛けて出るのが常だった。これは自分が葬った相手の冥福を祈るためだという。このことから、猛将だが実は戦という殺し合いを好むような男ではなかったことがわかる。
晩年、趣味の木彫り細工をしている時に小刀で指を傷付けた。これを見て「自分は来年あたり死ぬだろう」と予言したという。その予言は的中した。そういう男である。

「侍は首を取らずとも不手柄なりとも、事の難に臨みて退かず、主君と枕を並べて討死を遂げ、忠節を守るを指して侍という」──忠勝の言葉。
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