大内滅亡譜

2012/10/24 | 投稿者: 鹿苑院

今日から3日間、山口で学会。新幹線の路線が毛利家の防長侵攻と同じルートかどうかは知らんが、そこで討たれた大内義長という男について随想してみる。

大内義隆が陶晴賢の謀叛により討たれた後、晴賢は大友宗麟の弟・八郎晴英を大内家の当主に迎える。大内家への謀叛ではなく文弱な義隆を廃して強い大内家を再生するということが晴賢の大義名分だったからだ。無論実質的には傀儡に過ぎない。この操り人形が改名して大内義長を名乗る。

厳島の戦で陶晴賢が毛利元就に討たれ、義長は強力な保護者と大軍団を一夜にして失った。当然の如く毛利家による義長追討がこれに続く。

山口の義長を包囲した毛利元就は、重臣の内藤隆世が代わりに切腹するなら義長を助命すると約束した。このため隆世が切腹し、義長が山口を退去すると約束はあっさり反古にされ、毛利軍はさらに義長を長門の長福寺に追い詰める。この時、元就は大友宗麟に使者を出して「希望なら弟御を引き渡すが」と言ってやったらしいが、宗麟は拒否して弟を見殺しにしている。これにより義長は切腹。大内家は滅亡した。

その後、大内輝弘なる者が現れ、大内再興を目指すが既に中国地方の覇権を確立した毛利家の敵ではなく、ごく簡単に鎮圧されている。
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