大塔宮護良親王

2012/8/26 | 投稿者: 鹿苑院

大塔宮護良親王。この人物は日本の歴史上でまことに奇妙な立場を与えられている。

後醍醐天皇の皇子であり、建武政権に於いて征夷大将軍にまで就任しながら、なんと名前をどう読むのかさえわかっていない。
「大塔宮」は「だいとうのみや」なのか「おおとうのみや」なのか、「護良」は「もりなが」なのか「もりよし」なのか、意見が分かれている。
子供の頃に読んだ歴史漫画の影響で「だいとうのみやもりながしんのう」がオレとしてはしっくり来るが、1991年の大河ドラマでは「おおとうのみやもりよししんのう」と呼んでおり、今の歴史学会でもそちらの方が優勢らしい。

鎌倉幕府打倒に成功した直後からこの護良親王は足利尊氏を危険視し、尊氏こそ後醍醐天皇の政権を脅かし武士の世を復活させる人物だと主張する。
結果だけ見ればその通りだったのだが、これはどうだろうか。公平な目で見て、尊氏には後醍醐天皇への異心は元々無かったのに、護良親王やその周辺の人物が痛くもない腹をさぐっていろいろと讒言したために尊氏の居場所がなくなってしまい、反逆せざるを得ない立場に追い込まれた──という図式が妥当な気がする。

そんな情勢の中、護良親王は尊氏暗殺のために配下の者に辻斬りをさせるなどの素行の悪さが理由で征夷大将軍を解任され、皇位簒奪を企てた罪(濡れ衣らしい)で逮捕される。身柄は尊氏の弟・直義に預けられ、鎌倉の牢に投獄されるが、中先代の乱で担がれることを怖れた直義に暗殺されてしまった。

護良親王死去の地には彼の霊を慰めるために鎌倉宮という神社が建てられた。この神社は地元では「だいとうのみや」と通称され、最寄のバス停留所も「だいとうのみや」である。ただし、神社サイドでは「おおとうのみやもりながしんのう」と呼んでいるようだ。結局なんと読むべきなのかわからない。
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