自信警報

2007/11/28 | 投稿者: 鹿野苑

「宗教などを信じるのは自分に自信のない、弱い心の持ち主だからだ」と言う人が多くいる。それに対して私はこう答える。「その通りだ」と。ただし、それに対する受け止め方は先方とは180°違うはずである。

西洋の価値観の流入以来、「自信を持つ」ということはすっかり美徳になってしまった。歌でも(特にポップスでは)それを勧める歌詞が多い。そのことは否定しない。自信を持つこと、おおいに結構だと思う。

しかし過信は禁物だと思う。経験上、自信満々な奴というのは鼻持ちならないほどイヤな奴か、自分に酔ってる勘違い君がほとんど。そういう奴に限って失敗すると見苦しく言い訳するか、他の何かや誰かのせいにして逆ギレする。まあ一言で言えば迷惑な人が多い。

宗教というのはそういう慢心・自分勝手な生き方を戒めるためにある。自分の弱さを自覚すること。それが最大の成長の糧だと思う。ウルトラマンジャックやメビウスはそうやって育った(そういうことをちゃんと描いているからウルトラシリーズは名作なのだ)。自分も含めた人間というものの弱さ、ちっぽけさ、それが理解できない奴に素直さも謙虚さも優しさも持てる筈がない。必要な弱さというものは確かにある。
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2007/11/30  19:28

投稿者:鹿野苑

なるほど!「エースの願い」が宗教的にも究極の到達点ですか!確かにそれは良い考えだと思います。あれはウルトラの歴史でも指折りの名言ですからね。実は今日その「エースの願い」が収録されたDVDを借りてきた所です。

2007/11/29  23:48

投稿者:Uホーク

お釈迦様の「悟り」自体が悩みぬいた結果ですからね。悩むのは仏教の根本。仏徒としては悩むことからは逃げたくないと思います。
 
 自信があるのはいいと思いますが、一方的に自分の考えを押し付けるのはいいと思いません。「何が」とは敢えて言いませんが、歴史的に見ても、そういう一方的な考えの主は、鹿野苑さんの言う「迷惑な人」以上のことをして、責任も取らない輩が多いのです。
 僕はそういう考えにはっきりと嫌悪感を持ってます。

 最後に付け加えさせてもらえれば、「エースの願い」は宗教的に見ても「究極の到達点」だと思います。仏教思想に通じると思うので、僕は拠り所にしています。

2007/11/29  20:51

投稿者:鹿野苑

私の仏教感の根本ですから、共感してもらえてうれしいです。浄土真宗ではこれを哲学と言い出したのは清沢満之という先生が最初です。今の東本願寺はその清沢先生の流れを汲む改革派と保守派が30年程前に争い、改革派が勝利して今に至ります。だから仏教哲学論は少なくとも東本願寺では公式な見解になっていると思います。

2007/11/29  14:16

投稿者:燈子

「仏教は哲学である」という鹿野苑さんのお考えに共感しています。
自分がここに存在しているのは他力によるものだと思うと、謙虚になれます。
『ウルトラマンメビウス』の中には、キリスト教的な思想もあるように感じていました。

前回のコメントで、鹿野苑さんのお名前を間違えてしまい、大変失礼いたしました。申し訳ございません。

2007/11/29  7:40

投稿者:鹿野苑

「時代おくれ」…コメント残してないけどkaedeさんのブログの方の記事も拝見しましたよ。私の父もカラオケでよく歌う曲です。

2007/11/28  20:26

投稿者:kaede

自身満々に我先にと行く方(行っていると勘違いしている方)より、自身を見つめ、そういう輩が置き忘れた大事なものに気づき、拾い集めることができる・・・自分の弱さを知らない方は気づかないでしょう、大事な事に。

最近「時代おくれ」がマイブームなので、そっち寄りの文章になってしまった…かな。

http://blog.goo.ne.jp/ino1127/

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