清和源氏最強の男

2012/4/25 | 投稿者: 鹿苑院

清和源氏の家宝の甲冑は『源太が産衣』という銘が付いている。赤ちゃんの産衣がすでに甲冑と言っているのだから凄まじい。その上、頼朝の幼名は『鬼武者』である。なんか松田優作似の顔で敵をバサバサ斬っていそうな名前だ。清和源氏はサイヤ人も真っ青の根っからの戦闘民族なのだ。

そんな清和源氏でも最強と思われる男が鎮西八郎こと源為朝である。この男の活躍を見ていくと、行いがいちいち桁違いである。こいつならゼットンでもキングジョーでも片付けたんじゃないかと思うほどにデタラメな強さである。

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疫病神も為朝を恐れて逃げる図。


粗暴な性格ゆえに13歳の時に父に勘当されて九州に流されるが、その九州をわずか3年で全土征服してしまう。16歳で九州統一──こんなガキ日本史上他にいない!

保元の乱の時には平清盛と戦うが、為朝の弓の威力たるや、平家軍の武士の身体を貫通して更にその後ろにいた男の鎧に突き刺さるという信じられない破壊力を見せ、平家軍は怖気づいて為朝を避けて他の戦闘部署に回ってしまう。それでも一人、あの平重盛だけは為朝に突撃しようとして周りに止められているのだからたいしたものだ。

為朝の奮戦にも関わらず保元の乱は敗戦に終わったので、為朝は弓を射ることができないように腕の筋をはずされて伊豆大島に流罪となったが、そこでも傷が癒えるとまた暴れ出し、伊豆諸島をまたたく間に切り従えてしまう。

この為朝の所業に対してついに討伐の院宣が降り、その大軍を目にした為朝は抵抗しても無駄であろうと観念してそこで自害するのだが、その前にせめて一矢だけでも報いてやろうと考えて本当に1本だけ放った矢が軍艦を沈没させ、300人が溺死しているのだから最期まで恐ろしい。なお、その後で為朝が腹を切って自害したのが日本最初の切腹であり、武士の自害のスタンダードになった。

ただし、死なずに琉球に落ち延びて琉球王家の祖となったという説もあり、ただの珍説かと思いきや琉球王朝ではそれが正史となっていたりする。真偽はわからないが、沖縄には為朝上陸の記念碑が建てられている。
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