寺門山門

2011/11/14 | 投稿者: 鹿苑院

長等山園城寺(通称三井寺)と比叡山延暦寺に行ってきた。古文の世界では単に「寺」といえば三井寺、「山」といえば比叡山を指すということを習ったことを記憶している人も多いだろう。三井寺は元々比叡山の傘下だったが比叡山の主流派と対立して独立したという経緯を持っているので、同じ天台宗でありながら死ぬほど仲が悪く、武力衝突も頻繁にしている。やはり比叡山の方が本家であり、しかも山上から平地にある三井寺に攻め降りる勢いがあるので圧倒的に有利で、対戦成績は比叡山の勝率の方がはるかに高い。

そんな抗争の中、比叡山の僧であった武蔵坊弁慶が三井寺から分捕ってきた鐘が有名である。これは今は三井寺に返されているが、重さ2250kgと書かれていた。いくら怪力の弁慶でもこれを持って比叡山に登るのは無理だろうと案内のおじさんに聞いてみたら、
「いや、そりゃあ繰り出した何人もの僧兵で担いでいったんだと思いますよ。いくらなんでも一人じゃ無理です。」
とのことだった。
ふーん。そうか、じゃあ比叡山側の絵看板を見てみよう。

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一人で引き摺ってるじゃねえか!!!
なんと恐ろしい力…。常人なら2250kgを持って登山どころか1秒も持ち上げることさえできないと思うが…。それにしても弁慶、おまえ本当に人間か? もしかしてグレート・アントニオか?

さて、比叡山と三井寺の仲の悪さというものは各時代ごとの動向にもよく表れている。比叡山が平家に付けば三井寺は源三位行政の挙兵に協力し、比叡山が後醍醐天皇を支持すれば三井寺は足利尊氏に味方し、比叡山が浄土真宗を弾圧して蓮如上人の命を狙えば三井寺は上人を匿い、織田信長が比叡山焼き討ちをする時には三井寺が信長本陣になる…といった具合である。こうして見るとオレが各時代ごとに支持している勢力には大概三井寺の方が味方していることがわかるので、自然オレも寺門贔屓になるわけである。

さて、蓮如上人が三井寺の庇護を受けていた関係で、三井寺には浄土真宗関係の遺跡も存在する。その極めつけの結晶がこの名号と親鸞聖人・蓮如上人の木像である。観音堂に安置されているとの案内書きはあったが姿は見えず。よ〜し、あそこで朱印書いてる爺さまに聞いてみよう!

「あの〜、すいません。つかぬことをお伺いしますけど」
「はいはい、なんでしょ?」
「親鸞聖人と蓮如上人の像を見たいんですけど」

こういうのは大体、一般の参拝所から見えなきゃ見せてくれないのが常で、どうしても見たければ特別開帳の時にでも来いというのが普通である。ま、どうせ見せてくれないだろうがダメ元で聞いてみるかというくらいの気持ちだったが、

「あ、そうですか。じゃ靴脱いで中へどうぞ」
とあっさりと内陣に入れてくれた。


おおお…

もし山門と寺門がまた武力衝突したらオレは僧兵になって寺門の軍に加わります。

こんな事情で親鸞・蓮如の二聖に対面したオレはすっかり三井寺のファンになってしまった。その後で比叡山に登ったが、長くなるのでその話は次回に続く!
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2011/11/17  12:24

投稿者:鹿苑院

白檀の削り屑を捨ててしまうとは勿体ない気がしますね(笑)。
私も香木そのものはどう焚いたらいいのかがよく分からないのでお手軽なお香になってしまうんですけども。

2011/11/17  10:51

投稿者:山崎祥琳

トレードマークの眉毛の厳しいお顔と柔和なお顔の2種類ありますが、
これは、作者(願主の)心のイメージの違いでしょうね。

同じ老山白檀でも彫刻に適したものとお香に適したものは違うのかも知れませんが、
相関関係については学習していませんので良く解りません。
焚き方の上手下手もあるのでしょうね。
彫刻で発生した白檀の削り屑は、今までは取っておきましたが
現在では取り分けて分類するのが面倒くさいので捨ててしまいます。
もっとも白檀で造るという機会自体が減ってしまいました

2011/11/16  0:08

投稿者:鹿苑院

親鸞聖人の像は初老の頃の姿でしょうか。穏やかな風貌でした。蓮如上人の方は玉眼なのか、ギョロ目の像でした(笑)。その二体の間に六字名号の掛軸が掛かっていましたが、これは三井寺に落ち着いた蓮如上人が衣をほどいた糸で刺繍して書いた名号だそうです。

2011/11/15  23:51

投稿者:山崎祥琳

三井寺の親鸞聖人像と蓮如上人像にお参りできて良かったですね。
像の出来はいかがでしたか?
私は三井寺には行ったことがありません。

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