2021/2/23 | 投稿者: 鹿苑院

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昔の家電は今よりハイテクでないだけ寿命が長かったりする。我が家の電子レンジは母の嫁入り道具だったというから38年。実に僕が生まれる前から我が家で働き続けていた逸品である。
まだ物を温める機能は生きているが、時々火花が出るようになったので危険という理由からその長い長い現役生活についに幕を下ろすこととなった。
こう長い付き合いになると別れも寂しいもので、写真を撮り、紙碑ならぬブログ碑としてここに記録を留めておく。長い間お疲れ様でした。ありがとう。
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2021/2/23 | 投稿者: 鹿苑院

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今年の大河ドラマで吉幾三が演じている十二代将軍・徳川家慶。どちらかといえば丸顔の吉幾三とは似ても似つかない、長い顎の持ち主だったと言われている。

子作り日本一の父・徳川家斉とは不仲であった。将軍職を譲っても実権は譲らない父への不満が最も大きな理由だが、もう一つの理由として宗教問題もある。家斉は日蓮宗の信者だったのに対し、家慶は徳川家代々の浄土宗。日蓮宗と浄土宗では水と油である。

家慶自身は将軍として自ら政治に腕を振るうことには乏しかったが、水野忠邦、次いで阿部正弘を抜擢するなど人材を見る目にかけてはなかなかの物があり、暗君とは言い切れない。
自らの息子・家定よりも一橋慶喜を将軍にしたがっていたとも言われており、これが本当ならますます彼の人を見る目は確かである。もしその構想通り慶喜が十三代将軍になっていたら江戸幕府はもっと延命したであろう。
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2021/2/8 | 投稿者: 鹿苑院

芸能人の芸名のみならず、最近は子供の名前にも「蒼」という字をよく見る。訓読みすれば「あお」であり、「青」では平凡だから珍奇な文字を使えばカッコいいと思っているのだろう。

そんな人たちにこの事を教えてあげたらどう思うだろうか。「蒼」とは「生気のないくすんだ青色」を意味する事を。およそ人名に使いたくなるようなプラスの意味とは言い難い文字である。
つまり、「優」の代わりに「憂」を使ったり、「大和」の代わりに「倭」を使ったりするのと同じ。平凡を避けてカッコいいつもりで見慣れない珍奇な字を選んだ結果、とんでもない意味になっているパターンである。
やはり昔の人が使わなかった文字には使わなかった理由があるのだ。

ちなみに、どうしても「透き通ったきれいな青色」を表したいならそれは「碧」である。
「青く流れる」を意味した自らの芸名を「蒼流」ではなく「碧流」にした椎名さんは賢明だった。
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2021/1/17 | 投稿者: 鹿苑院

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フジミ模型のちび丸シリーズは過去に戦艦武蔵を作ったことがある。塗装・接着剤不要で実に作りやすい親切設計だった。
そのちび丸シリーズにゴジラ怪獣があることは知っていた(何故か戦艦は『ちび丸』、怪獣は『チビマル』と表記が分けられている)。ゴジラとメカゴジラもあるがそれはあまり欲しいと思わなかったが、キングギドラだけは出来の良さが他に比べて良く思えたので欲しくなった。

サザエさんと鉄腕DASHを見ながら製作時間1時間でサクッとできた。
目はデカールであり、白目の部分が黄色い物と赤い物を選べる。赤目を選んだら哺乳類のような生気のある表情になってしまい、これは失敗だったかもしれない。パッケージの見本写真は黄色目だが、こちらの方が爬虫類っぽい無感情な不気味さが良い味を出している。

総評としてやはり良く出来ている。デフォルメされているのにリアルさを失っていない。可愛いのだがカッコよさも同居している。これ以上可愛くすればいかにもおもちゃになるし、これ以上リアルにするならデフォルメする意味がない。そのギリギリのラインを巧く突いた良品である。
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2021/1/12 | 投稿者: 鹿苑院

2001年の映画、『ゴジラ・モスラ・キングギドラ 大怪獣総攻撃』はゴジラが悪役であり、珍しくキングギドラが善玉だった。
白目を剥いて感情というものが一切窺い知れないゴジラは憎らしいほど強く、映画館の大スクリーンでキングギドラとの決戦を見守った僕は「ゴジラ、死ねー!」と念じたものだ。それでもゴジラは死なずキングギドラを打ち破った恐るべき強さだった。


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さて、タイトル通りにこの本を読み終えた。三本立ての中編集。そのうちの一編は平頼綱が主人公である。
北条時宗に仕えるしがない御内人でありながら、安達泰盛の引き立てを受け出世の糸口を掴む。時宗の死後は恐るべき野望を胸に秘め、恩人の泰盛を殺して幕府の実権を握り粛清の嵐を吹かせる恐怖政治を行う。
恩人を殺して出世するのは斎藤道三に似ているし、恐怖政治はロベスピエールに似ているのだが、何故だろう、その二者に見られる颯爽とした英雄性が頼綱にはまったくないのだ。ただただ陰惨で憎らしく、刺客に襲われる場面でも難を逃れて死ななかったのを舌打ちしたくなる思いにすらなった。

悪役主人公をそこまで憎むのは、実はその本が面白いことの証だと言っていい。
『ゴジラ・モスラ・キングギドラ 大怪獣総攻撃』も僕的にはゴジラシリーズで5本の指に入れる。
悪役主人公を憎んでいる時点で、作者に見事に一本取られているのだ。そんな作品に出会えるのは幸運なことである。
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2021/1/5 | 投稿者: 鹿苑院

「昨日のコロナ陽性者数は何百人です。ババーン!」とニュースが出るたびに右往左往する人々を見ているとつい苦笑してしまう。
ある日など、「少なく感じるかもしれませんが○曜日としては過去最多です。」などと言っているのを聞いて、なんか無理矢理おおごとにしようとしてないか?とすら感じた。
マスコミの言うことを疑ってかかるのは僕のせいではないだろう。サブカル差別に反日親韓。「ウソを言わずにだます」がマスコミのお家芸なのは数多の事例で嫌というほど見せられてきた。

つい先日、コロナ陽性者数が1日あたり1300人という記録が出て大騒ぎになったが、ちょっと待ってほしい。1日に1300人が感染する感染症というのは凄いのかしょぼいのかはそれだけの情報では判定できない。

「科学的な数値は基準値または他のデータと比較して初めて評価できる」というのが鉄則である。
この場合、他の感染症、例えばインフルエンザの例年の同じくらいの月日の1日あたりの陽性者数と比較して、コロナが何倍も多いというのならコロナの感染力は恐ろしいと初めて言える。そのデータの併記がない以上、コロナ陽性者数が何人だと言われてもそれは意味のない数字である。

なお、「過去最多」などというのは比較したことにはならない。それはあくまでもコロナウイルスだけの成績に過ぎないからだ。
模試でいつもE判定の受験生が頑張ってD判定になったとしたら確かにその子の中では過去最高の成績だと言えるが、受験生全体の順位からするとやっぱりたいしたことがなく、合格する可能性は低いのと同じだ。

比較対象なきデータは意味のない数字。どうか胸に留めていただきたい。
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2021/1/4 | 投稿者: 鹿苑院

今日で正月休みが終わる。僕の休日はほとんどが積読と録画の消化に費やされるが、そのどちらも満足いくだけ進めることができた。

読書時間はいくらあっても足りない。
自分の積読量を考えると、もしかしたら一生のうちに読み終わらないんじゃないかという恐れすら薄々感じるのだが、それなのに本屋に行って面白そうな本を見つけると買ってしまう。消化するより増える方が速いのだから、積読が減るわけがない。
ただ、最近は読むスピードが速くなってきたのも感じるので、そのへんどっちが勝つか、である。

というわけで今年の目標はとにかく積読を消化すること。改まった新年の目標というより数年来の直面する課題なのだが。
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2020/12/17 | 投稿者: 鹿苑院

アホ映画である。『沈黙─サイレンス─』を見た翌日なので落差が凄い。
かつて、『竜馬におまかせ!』というアホ時代劇があり、僕は好きだったが武田鉄矢は激怒したという。あれを面白いと思える人は『新解釈 三国志』も見るといいし、腹が立つ人は見ない方がいい。
コメディというものはまったくのオリジナルなら誰も文句を言わないが、歴史が題材だとそれに思い入れがある人が必ず怒るものである。そういう意味で勇気のある作品だと言っていい。

ま、僕は好きです。
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2020/12/17 | 投稿者: 鹿苑院

遠藤周作原作の、隠れキリシタン弾圧を描いた映画。9月に録画したものを昨日見た。

ポルトガル人であるはずの主人公どころか、日本人の幕吏、貧しい農民までが英語で会話しているのがアメリカ映画らしい大雑把さだが、そこを厳密にやるとただでさえ2時間40分もある映画がもっと長くなってしまうのでそれはまあいい。
遠藤周作がキリスト教徒であることからして、キリシタンが善玉、取り締まる幕吏が悪玉という構図かと思っていたがそうではなかった事を高く評価したい。なにしろタイトルの『沈黙』とは、苛烈な迫害を受けているキリシタンの苦難に対してなぜ神は助けに来ず、知らん顔をして沈黙しているのかという意味だ。

キリシタン・幕吏、双方の言い分を丁寧に描写しているのが良かった。僕はキリスト教が嫌いなので、幕吏の言い分の方が真っ当に聞こえた。
それに、意外な事だが幕吏のキリシタン取り締りは「何がなんでもキリシタンは死刑」というものではない。棄教を宣すれば無罪放免にしてくれるし、踏み絵に至っては「本当はこっちだってこんな物はどうでもいいのだ。絵ぐらい踏んだって信心に影響はなかろう。かする程度でもいいからとにかく踏んでくれ」と親切にすら見える態度でキリシタンを説得している。処刑する時も「何度見ても嫌なものだ」とこぼしている。残忍に殺戮を楽しんでいるわけでは断じてない。
翻って、日本では迫害されていたカトリックは中南米で何をしていただろう。「異教徒だから」という理由で原住民を山ほど殺しインカ帝国を滅ぼしているではないか。十字軍はイスラム教徒を殺しまくっているし、ヨーロッパ本土では同じキリスト教徒でもプロテスタントをやはり片っ端から殺している。長崎の隠れキリシタン弾圧を盾に被害者面をする資格がカトリックにあるはずもない。

映画が良かったので書店で原作を買った。近いうちに読みたい。
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2020/12/4 | 投稿者: 鹿苑院

浄土宗二祖・弁長上人の誕生はかなりの難産だった。なにしろ母はこの出産で命を落としているほどである。
この故事から、彼の活動拠点だった久留米の善導寺は安産祈願の寺とされている。この事は浄土真宗育ちの僕にはちょっとした驚きである。

善導寺は場末の寂れ寺などではない。芝の増上寺や黒谷の金戒光明寺と肩を並べる、浄土宗七大本山の堂々たる一角である。
これがもし浄土真宗なら、別院クラスの大寺がいかにその寺ゆかりの高僧にエピソードがあったとしても現世祈願の寺になど絶対ならないだろうし、なったとしたら本山から破門されるほどの騒ぎになるだろう。

では仏教としてこれは容認できるのかと言えば、結論から言ってできる。何故なら釈尊その人が弟子に命じて安産の祈祷をさせたことがあるからだ。
命じられた弟子はアングリマーラである。彼は辻斬りだったが、標的にした釈尊の威に打たれて改心し弟子となった。
そのアングリマーラが街を托鉢していると、難産で苦しんでいる女性に出会った。すぐに戻り釈尊にその話をすると、
「おまえ、今すぐその女性の所に言って、『私は今まで人を殺めた事がないからその功徳によって無事に出産させたまえ』と祈ってやれ」
「すいません師匠、私は元辻斬りなんで、結構たくさん人殺してるんですけど…」
「あ、そうだった。じゃあ『出家してからは一度も人を殺めた事がない』に言い換えればいけるだろ」
というやり取りの結果、アングリマーラは言われた通りの祈祷を行い、出産は無事に終わった。

してみると、本来の仏教に現世祈願は無いというわけでは必ずしもないという事がわかる。この事はよく味わってみる価値のある話である。
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