ドラマを見ん理由=本を読む理由
映像を与えられ、その世界と同化(感情移入)することによって感動したり、切なくなったり、悲しくなったり、あるいは憧れ、願望。
それはそれで1つの娯楽としてあり。
人、モノ、場所、全てが限定された世界を与えられ、感情に訴えかける言葉、役者の演技、風景描写。
そう、作られ与えられた世界、もう1つの現実。
創造することが許されない世界。
やからオレはドラマを見ない。
想像(創造)する力、それを大事に思うから。
本はそれを制限するものが少ない。
断片的なピースを組み合わせ、つなぎ合わせ、作り出す。
読み進めるたびに変わる風景、人、場面。
不完全で読むたびに違うイメージのスライドショー。
読む人によって異なる想像絵図。
自分だけのイメージ。
自分だけのもう1つの現実、幻想。
そんな独り遊びが楽しくて、とても有意義なものに思えるから、ドラマなんかより本を読むことを選ぶんかもな。
文字を読むだけで画像が浮かぶ才能(と言えるなら)に感謝。
そう思いながら今日も1冊読破いたしました。
蓮見圭一さんの『水曜の朝、午前3時』
1人の女性の手紙とレコーダー。
残されたメッセージ。
死を前にして語られたその内容とは、、、
1970年の大阪万博、京の街が物語に景色を与え、登場人物が景色に色を与える、そんな風に感じた作品。
人が生きること、人を愛すること、人は変われること、、、
読み物としても、小説としても○でした。
それにしても読書は楽しい、飽きん、そして興味深い。
音楽と同じく、金を使うに値する数少ないもののウチん1つやわ。
もう在庫尽きてきたし、明日にでも補充しに行かな。
興味深い本の情報待ってます。

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