2013/5/7

「さび」という美意識  メモ

「さび」という美意識

花守や白き頭を付きあわせ     去来
    師曰く「さび色よくあわれ、悦候」と。 去来抄より

向井去来は師芭蕉の指導によく従い、その人柄から「西国の俳諧奉行」あだ名されたが、俳句作品そのものは其角や嵐雪の句に見られるような華やかさにかけていた。しかし、蕉門を考えるとき『去来抄』や『旅寝論』を記し、芭蕉の生の言葉を後世に残した功績は大きい。要するに芭蕉の俳諧理論の実質的な後継者であった。
掲句にたいする芭蕉の言葉はそのことをよくあらわしている。
花守の老人が白髪頭をつき合わせながら語り合っている。一見それだけの句であるが爛漫たる桜と老花守を配したところに一句の情緒の閑静な趣が生まれ「さび」の心が現れたと芭蕉は言った。
では「さび」とは何であろうか?それは芭蕉の俳諧理論というより日本を代表する美意識の一つである。

古池や蛙飛び込む水の音      芭蕉

世界一有名な俳句であると思う。
この一句によって芭蕉は「さび」の精神を構築したという。句意は明瞭であるが十七文字の世界に風景と音、そして世間を超越して俳諧に打ち込もうとしている作者の姿を表現しえた傑作である。
芭蕉の俳諧理念を「中世文学の終着駅」と市村宏氏(東洋大学名誉教授・平成元年没)は表現され著書『中世・近世文学史』の中で「あわれ・幽玄・余情として継承された日本文学の伝統的理念の上に俳諧文学を置いたのが蕉風である」といわれた。
王朝文学が貴族を中心としたサロン文学であったのに対し、中世の文学は隠者の文学であった。それは、西行の和歌や鴨長明の「方丈記」のような随筆にみられるように、宮廷から離れた自然の中に身を置く事により生まれたものである。しかし、そのような態度もただ世を儚んで出家遁走するのではなく、そうした生活の中から生まれてくる「もののあわれ」を表現しようとしたものである。
世事に煩わされない安心感と、その反面から生まれてくる孤独感を言い表した言葉が「さび」である。
これは同時代の西鶴や高政にはなかった文芸思想であるが、残念なことに芭蕉の後近世の俳壇には蕪村が生まれるくらいで蕉門の俳壇は衰退の一途をたどる。俳諧は市井の宗匠俳句におちいってしまい、明治の正岡子規、高浜虚子の登場を待つこととなる。




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