東海道新幹線を使えば片道5時間半ということで日帰りできないこともない、往路は、東海道線本線大垣行き快速・ムーンライトながら(東京発23:10、名古屋着5:22)を使って名古屋から近鉄という手もありますが、...
なんでまた、急に奈良なのかというと、奈良国立博物館の
聖地寧波(ニンポー) 日本仏教1300年の源流〜すべてはここからやって来た〜
参照サイト
奈良国立博物館
参照ブログ
遊行七恵の日々是遊行 聖地寧波 日本仏教1300年の源流
あるYoginiの日常 「聖地寧波−日本仏教1300年の源流−」(前期) 奈良国立博物館
見もの・読みもの日記 夢に続く道/聖地寧波(奈良国立博物館)
先月、都内の展覧会を巡り歩いた時に、チラシを見つけて、行くことはないけど、このチラシは保存しておこうと思っていました。ところが、...
中国を代表する港湾都市、寧波(ニンポー)。日本と中国を結ぶ海上交通の一大拠点として発展してきましたが、長らく日本人を魅了し続けたのは、この町を中心に栄えた最新の仏教文化でした。遣唐使の時代以来、寧波にある普陀山(ふださん)、阿育王寺(あいくおうじ)などの聖地を目指し、多くの僧侶たちが日本から巡礼に訪れたのです。
本展では、寧波のこうした仏教の聖地としての側面に光を当て、かの地から海を越えてもたらされた仏教美術の名品を一堂に会し、その魅力に迫ります。(同展覧会チラシより)
「仏教美術の名品を」とあるので、仏教美術の展覧会、と思っていたら、そんなことはなくて、仏教東伝の歴史や文化史の視点からも見応えのある内容となっている様子です。個人的に気になるのが、関連する講座やシンポジウム。
一つは、
国際学術シンポジウム
舎利と羅漢―聖地寧波をめぐる美術―
8月8日(土)9日(日)
主催、平成17年度〜21年度文部科学省特定領域研究「東アジアの海域交流と日本伝統文化の形成―寧波を焦点とする学際的創生―」、奈良国立博物館
参照サイト
国際学術シンポジウム 舎利と羅漢―聖地寧波をめぐる美術―
特に拝聴したいと思うのが、末木文美士氏の、舎利信仰の形成に関する講演と、李玉ミン(ミンの字、王へんに民)氏の、十六羅漢図から雲南における仏教を考察する講演。
もう一つは、
奈良国立博物館夏季講座
寧波をめぐる信仰と美術
8月18日(火)〜20日(木)
主催、奈良国立博物館、
奈良女子大学古代学学術研究センター
東京・横浜あたりなら、仕事休んで出かけちゃおうか、というところですが、奈良まではちょっと、...図録だけでも買っておこうかな? でも、シンポジウム事務局のサイトに「平成17年度〜21年度文部科学省特定領域研究」とあることからすれば、今後、研究成果をまとめた書籍の発行もあるのでしょうね? それまで待ってみようか。仏教東伝の歴史における、寧波の地理的、歴史的位置づけとはどういうものなのか、とても興味があります。仏教が中国に伝播したとき、中国では、既存の老荘思想や道教とうまく折り合いをつけて生き残り、そして日本へ伝えられ、その後、中国では衰退してしまうわけで、西暦10世紀頃の寧波における、仏教はどのようなものだったのでしょうか。地理的に、チベット経由の北伝と、東南アジア経由の南伝の、どちらとも接していそうな場所でもありますし。
それに加えて、昨日(24日)の読売新聞
清涼寺の扉絵 旧厨子のものと判明
京都・清涼寺(せいりょうじ)に収蔵されている扉絵が、インド、中国、日本へと伝わった「三国伝来の釈迦」として知られる同寺の本尊、釈迦如来立像(国宝)を安置した旧厨子(ずし)のものとみられることが、奈良国立博物館の調査でわかった。
扉絵は4面あり、縦168センチ、横44〜50センチ。金光明経が説く四天王や吉祥天など12体の神々が描かれている。調査で、江戸期に作り直された現在の厨子と扉の大きさや形状が一致した。
扉絵は描き方などから、985年に立像が中国・宋から伝わったきた後の鎌倉後期に描かれたらしい。
宋では、金光明経の神々を描いた図像を掲げ、国家鎮護を祈る法会「金光明懺法(せんぽう)」が営まれていた。扉絵はこの図像に似ており、谷口耕生・同博物館室長は「像と一緒に法会も伝えられ、ある時期まで清涼寺でも営まれていた可能性が高い」としている。
扉絵は、同博物館で8月30日まで開かれている特別展「聖地寧波」で寺外初公開されている。釈迦如来立像も7月30日まで展示。(読売新聞紙面より)
まだ調査・研究中ということですね。清凉寺・釈迦如来像の拝観や由来については、
こちらのサイトに掲載されています。
おまけに、昨日の読売新聞には、10月24日から始まる「正倉院展」の展示品に関する記事も載っていて、「紫檀木画槽琵琶」、光明皇后筆「楽毅論」などが公開されるそうです。 う〜〜〜ん、...

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