2008/6/30

常磐炭鉱重内専用線廃線跡 後編  専用線・廃線/保存車/保存鉄道

1週間ぶりの続きとなりました。
では雁の倉操車場より重内炭鉱へ。
クリックすると元のサイズで表示します
先程の築堤をスイッチバックで戻って行き程なく橋台が出てきます。前回紹介した然程大きくない川ですが あの橋台から6〜7mくらい山側にあります。
クリックすると元のサイズで表示します
この反対側の橋台は工事により撤去済み その後の線路跡も少しの間なくなります。
クリックすると元のサイズで表示します
回りこみ 線路跡へ。こちらはレールは撤去済みですが 枕木に犬釘が残り程好い感じです。
クリックすると元のサイズで表示します
ここから築堤が暫く続きます。その途中に小さな橋が残ります。
クリックすると元のサイズで表示します
では道路側より
クリックすると元のサイズで表示します
随分ずっしりしています。何年もここで隠居しているとは思えませんね。
回り込んで反対側から
クリックすると元のサイズで表示します
今でこそ小さい側溝だけですが 現役時代は小川が流れていたのでしょうか?さてこちらに初めて回り込みましたが 橋に銘板があるのに気がつきました。しかし全く読める余地はありません。
クリックすると元のサイズで表示します
しかし橋の中央に 読めるものがあります。
クリックすると元のサイズで表示します
会社名とENGLANDの文字が見えます。
この後も築堤が続きます(時期が悪かったようで草が伸びてレールが有るかはわかりません)
クリックすると元のサイズで表示します
そして終点が近くなったころレールが出てきます。築堤のカーブもいい感じです。
クリックすると元のサイズで表示します
奥に見える工場の手前に常磐炭鉱重内専用線 雁の倉操車場と並ぶ遺構はこの橋梁でしょうか。
クリックすると元のサイズで表示します
レールこそ無いものの朽ちた枕木が残ります。今度は工場側から。
クリックすると元のサイズで表示します
川に下りて下からも。
クリックすると元のサイズで表示します
この橋にも銘板が残ります。こちらもかなりきていますが 何とか1893とまたもやENGLANDの文字が見えます。
クリックすると元のサイズで表示します
1893は製造年?英国から持ってきたのでしょうか?それにしても敷設された年と製造年にずれがあります。専用線は昭和20年(1945年)頃の敷設のようです。

そして工場を迂回すると石炭を積み込むホッパー(調べたところ「万石」と呼ぶそうです)が見えてきます。
クリックすると元のサイズで表示します
ここにも一部レールが残ります。
クリックすると元のサイズで表示します
複線のように2線分あります。このまま万石まで続いていたようですが レールはそこまで行かず すぐになくなってしまいます。
クリックすると元のサイズで表示します
巨大な鉢植えのようになってしまい時間を感じます。見えにくいですが 万石の脇に広がったところには川が流れセメント橋が2本架かっています。
クリックすると元のサイズで表示します

重内炭鉱専用線はこちらで終わりです。前後編に分かれましたが1時間の短時間に撮影しましたので もうちょっと探せばレールなどの遺構がもっとあったのかもしれませんね。

そして帰り道にもう一つ。エンドレス軌道の跡を見に行きました。使用期間は短いようですが中郷鉱の裏側から雁の倉操車場までを結んでいたようです。雁の倉から途中まで線路跡と切通し等が残りますが 最大の遺構はこちらにあります。
クリックすると元のサイズで表示します
右に見えるのが平成に掘られた十石トンネル 正面に見えるのが旧十石トンネルです。埋められているとは思いませんでした。見たところ最近のようです。この左側にエンドレス軌道の遺構があります。
クリックすると元のサイズで表示します
切通しの藪を長靴で突入すると見えてきます。
クリックすると元のサイズで表示します
半部くらい埋まった感じですが現役時代はどうだったのでしょうか。北茨城市立図書館でこの辺りの資料を見たような記憶が有りますが 数十年前で定かではありません。

これを見て行ってみたいと思われる方 かなり不審な目で見られますのでそれなりの覚悟と 旧沿線の皆様にご迷惑のかからないようにお願いいたしますm(__)m
タグ: 専用線 廃線



コメントを書く


名前
メールアドレス
コメント本文(1000文字まで)
URL




teacup.ブログ “AutoPage”
AutoPage最新お知らせ