『グスコーブドリの伝記』無事終了しました。
ご来場のお客さま、ありがとうございました。
今年になって五回目の公演で、前回まで降水確率は100パーセントでしたが、薄曇りながらやっと雨の降らない公演となり、降水確率は80パーセントに下がりました。
今回のチラシには、父の遺した写真を使いました。
父自身もこの写真は気に入っていたようで、大判のネガが残っていたのですが、当節どこも現像してくれるところがなく、昔稽古場に張っていた写真を複写して使うことに・・・・・・
上がオリジナル、下が複写してもらったもの。
沢山のブドリとネリの中には、ちいさな僕自身も並んでいます。
チラシはこんな風になりました。
http://www.geocities.jp/mopoct/page044.html
2009年4月の初演の際と同じく、前奏曲「眼にて云ふ」・間奏曲「最後の手紙」・終曲「手帳より」をはさみこみ、丁度二時間の上演になりました。
動きも明かりの変化もなく、音楽も少しだけ、あるのは言葉と表情だけというやり方で、二時間を越える作品は、どうしても聞き手の皆さんに我慢を強いてしまうところがあるかも知れませんが、僕のお客さんは皆さん我慢強い方がほとんどで、いつも最後までおつきあい下さいます。しかもみなさん、苦情もなしにお帰りくださり、それどころかまたご来場下さるのです。
ありがたいことです。
これからもこの方法が大きく変わることはないので、かわらぬお付き合いをよろしくお願いいたします。

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僕がこの作品をかたる上での鍵は「夢」でした。
説明になってしまうといやだなと思いながらも、当日パンフレットにはこんなことを書きました。
『《僕にとって『グスコーブドリの伝記』は、夢の中の物語です。
「銀河鉄道の夜」が生と死の狭間に浮かぶ、夢の列車の中の物語で
あった ように、凶作による飢えと病の苦しさの中で、「誰か」が見た、
夢の中の物語です(初演時の日記より) 》
その「誰か」とは誰なのか・・・そんなことを思いながら、
聞いていただけましたら幸いです―』
この物語をかたるのは、これで最後にしようと思っていましたが、物語の後半、物語をかたっている「誰か」がいつのまにか、かたられているはずのグスコーブドリ自身に変わっていくという新しい世界がほの見える、今回の物語になりました。ですからもう一度、この方向でかたりたいという思いがふつふつと・・・・・・こんな説明はいりませんが、いつかもう一度ブドリをかたってみようと思いました。
「きいて・みて宮沢賢治」には初めて、アニメ「よたか」の海津研さんが、遠く千葉県からご参加下さいました。
そのほかにもイーハトーブプロジェクトin京都の浜垣さん、篠山市HOO工房の加藤昌男さん(「宮沢賢治の童話を語る会」でお世話になった版画家)、高校演劇部の後輩・松尾さんなど、ありがたい、珍しいお客さまもご来場下さって、とても嬉しかったのでした。感謝・多謝。
舞台は上記の通り、いつもの簡素なもの。
今回は上演時間が二時間と云うことで、この会を始めて初めてのひとり会となりましたが、その長さ故に今まで上演を逡巡していた作品がまだまだたくさんありますので、これからも何回かに一度はひとり会にして行こうと思います。
この人形に共演してもらうのは2度目です。
山の頂上から雲の海をながめる、ブドリだと思っていただけたら嬉しいです。
次回は7月21日(土)午後2時開演。
常連の語り手・曵田宏氏の「カイロ団長」、初めてご参加の川島むーさんの「けだもの運動会」、竹崎の「谷」そのほかでお贈りいたします。
皆さんのご参加、お待ちしております。

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