昨日無事にもどりました  

「12日に11日の記事を立ち上げる予定でした」

昨日無事に四谷にもどりました。
 それが、すごいたいへんだったんですよおお。

    大雨、大嵐..報道でお聞きだと想うのですが。
      那須のあたり、大騒ぎ。。だって前がまったくみえにゃい。雷の稲妻は
        びしばし!!

         いやああ、すごかった、東京方面なのに
          渋滞11キロ。。ひゃああ/

           ほぼ一時間ほどのろのろ進んでわかりました。
           三車線、のうち二車線が水がつもって通れない。

           夜の大雨、ほとんど勘で進んでます。
           四谷についたらくたくた!!

            マネージャーが優しく迎えてくれました

             本当にありがおおおおお。。。

  これは、昨日立ち上げるはずの内容です!!

  ★★☆**********************★☆☆
「今、越前高田です!!」

  今日は光太郎さんに逢いに、岩手の山小屋にいきました。
   絶対何かがある!!って確信していたモモタでした。

   器材車は、所沢に走っているというのに!!
      ごめん!!!

       どうしてもドラムセットが原田さんの手元に届かないといけません。。
      
  モモタは、花巻インターをおりて、37号線、どんどん山の中に入っていくのです。
  この光太郎さんが7年間いた、山小屋は、4月から12月が営業です。。
    という事は、極寒の寒さを物語っています。

     想像を超えていました。
     静かにたたずむ、その記念館、小川が流れ、山小屋への小道があり
     きっと、光太郎さんが散策した道です。
     でも、冬以外。。は散策ですよね。

    光太郎さんが創った山小屋は、今維持するためにその周りに
    囲われているんです。
    板が数枚あるだけ。
    ええええ。こんな寒い中で。それは想像を絶しています。

     実はモモタは、加茂町に住みたくてお家をかりたとき
     窓ガラスの日本のお家に数年住んだ事があるんです。
     窓ガラスのねじまきの鍵の隙間から雪が吹き込むんですよ。
     その時の寒さといったら、言葉になりませんでした。
     家の中で、オーバーを着たまますごしていたんです。
     光太郎さんは岩手です。東北の寒さは、もう2年前の3月で体験しています。
        「痛い」寒いなんてもんじゃない

       島根の雪でも、本当につらかったのに


     山小屋から、急な山道をあがり、展望台へ
     北上山地が見え、北上川がみえ。。
      月夜の晩には智恵子さんを想って空を眺めていた。。
      と記されています。

     そして泉があり、そこでこんこんとわく水を飲んでいたそうです。
     そして、記念館を訪れました。
     光太郎さんのはがき、長靴。。
     その、記念館に、おばさまがいらっしゃいました。
       車で、この高村荘に入る時、12月から4月までの閉鎖している時も
      特別に閲覧を希望される人は、高橋愛子までとかいてあったのをはっきり覚      えていました。

     一人出来たの??まあ、東京。。いえいえ今日は秋田からです。
     ふ〜〜ン、とすごく不思議そうに私をご覧になりました。
       実は、、私歌手で、智恵子抄に曲を描いて歌っているもので、どうしても
      光太郎さんの山小屋に着たかったんです///とお伝えしました。

        え!?どんな、と聴いてくださったので
        てのもっていたCDをお渡ししました。
        眼鏡をしないと見えないわ!と事務所にもっていまれました。

      展示物を見ている私に。
       あらあら!!トマトを食べなさい。

      と。。。。自分で創ったの、きらいとおっしゃるので、いえいえ、今朝も
      はなしっこホームの冷蔵庫の中のトマトを盗み食べたぐらいのモモタです。
       もちろんいただきます!!

      もう少し展示物をみますね。。
  
       そして入り口のベンチに座って、トマトをいただきました、
       お砂糖もあるわよ。。って
      お塩じゃないのおおお??
        でも、愛子さんのトマトは充分甘い。。

        愛子さんのお父様が、この大田山口の村長さんだったそうです。
        前後の引き上げの時代で、戦火でアトリエを焼け出されてしまった光太       郎さんがこの地に住まうときだったそうです。
        戦後37歳だった、高橋雅郎(がろう)さんは、これから、何をしたら
       日本のためになるのかと、光太郎さんにきいたところ、とにかく
       この村をしっかり見るために、村長になるようにいわれたそうです。
       そのとおりした、雅郎さんは、光太郎さんと深くおつきあいをなさったそ       うです。光太郎さん60代。愛子さんは19歳だったそうです。

         じゃああ、光太郎さんとお話ししたんですか?と伺うと
       毎日のように。。とおっしゃるではないですか!!

         あああ、昨日光太郎さんがパンクさせたりいたずらしたのは
          このためだああああ。。。

         どんな方でしたか?
        優しいのだそうです。でも、気に入らない、芸術家気取りの人には
        帰ってくれ!とおいかえしたようです。
        光太郎さんが気に入られると、
        高橋さんのお宅に必ず泊まるようにと光太郎さんがいったそうです。
        草野心平さんは、もう何度も何度もおとまりになって
        沢山お話をなさったようです。


         愛子さんはいいました。
        ここは、寒いなんてものじゃない

         あの小屋の寒さは、本当にすごい。。
         床からも吹雪がまう。。

         愛子さんも「どうして!!」っておもったとおっしゃっていました。
         19歳の私ですから本当にわからなかった。。

           でも、とある夏のある日
      
         光太郎さんを訪れると、お顔に手ぬぐいをかけながら
         昼間なのにねてらした。
         夏風邪をひいたのだといったいたそうです。

             まあ、めずらしい、
          そして洗濯物がたまっていいて、桶にはいっているのをみて
          かわいそうになり、「どうして。。。」と聞いてしまったようです

          光太郎さんがこう答えたそうです

           「さびしくなんかない、智恵さんがここにいるから

              食事も一緒だから」と

          愛子さんはいいました。智恵子さんはしあわせだったのよね。


             って。。。またまたモモタは泣いていました

          でも、うれしかったんです。
             そうだ。。。智恵子さんがにこにこしてる。


          今回花輪の関善では、千鳥も沢山きたしレモン哀歌では
          光太郎さんがきた。
            

          ストーンサークルにもきた、
             お月様も。。


           明日は
              女川によってみます。。
                 きっとだから海が見たくなったのだと


         またほうこくします!!!


                   

  
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