このタイミングでなければ書けないことを書いてしまおうか。
そう、高校時代の思い出だ。あまり学校には行かなかったにせよ。ボクには当時の「漫画家になる」という夢をともに語れる同じクラスの親友がいた。童顔で坂本九のようなニキビ顔の親友の名前を「神保史郎」という。
彼の名前を知るものはいまは、少ないだろう。彼は、漫画を描かなかった。だが、漫画界と深く関わった。おそらくボクよりも深く。というのも、彼はその頃まだほとんどいなかった「漫画原作」という道を見い出し、目指していた。この道のほとんど開拓者のひとりと言っていいだろう。
彼は「スポ根もの」というジャンルの開拓者でもあり、そして在学中に高校生にしてデビューした。デビュー作にはボクもかなりのアイディアを提供した。そのデビュー作は絵物語の要素を残したいまで言うところの「ライト・ノベル」に近い青春ものだった。
石井いさみがマンガをつけた『あの子は委員長』という作品である。その後すぐ、彼、神保は『サインはV!』(マンガ:望月あきら)という作品を生み出し、一躍売れっ子になった。この作品はその後、岡田可愛主演で実写で映画化され、さらに最近もTVドラマでリメイクされていたから、マンガファンでなくとも知っているかも知れない。
『サインはV!』の中にエリザベス・サンダーホームで育ったというジュン・サンダー(映画では氾文雀が演じる)というハーフの登場人物がいるのだが、どうやらこれはボクの名前が用いられたようである。
そして、名前にともに「史」の字をもつボクらは、いまなら同性愛者と疑われてもおかしくないくらいよくつるんでいた。いや、遊びではなく神保の出版社への売り込みに一緒について行ってあげたのだ。
授業をさぼって「少年画報社」「講談社」「小学館」などなどマンガ出版社をまわったのだ。
彼はサクセスの道を歩んだ。売り込みについてはいっても、自分を売り込むと言う営業力のなかったボクは、新宿と言う奈落に落ち(笑)、巷を徘徊し、深夜喫茶をラリりながら這いずり回る道を選んだ。
昨年、その神保の死を知った。「Book off」でなにげに、懐かしさから手に取った「サインはV!」の見返しに書いてあった。知った時、一瞬がく然とした。有名になったがゆえに、ボクは神保に会いに行かなかった(そういう友人は他にもいる)。そして、もう一度あのころ語っていた「夢」を語りながら酒を酌み交わしたかったなぁと後悔したのだ。
友人いや親友だった神保史郎は、いまから12年も前の1994年6月2日に亡くなっていた。若くして死んだものだ。わずか、40代の半ばの早すぎた死だった。
神保! お前は「Vサイン」の意味を知っていたのかなぁ?
「勝利」の意味だけでない「V」の意味を!
お前はお調子者だったよなぁ、「大家」になって近付くのがイヤになったんだ。ボクは「反抗する少年」の姿を美しいと思うクチだったからな。孤児で、ディアスポラな家なき子であるジュン・サンダーだったからな。
そっちの世界はどうだい?
ニキビ面であいかわらず売り込みをしているのかい?
その果ての早死にだったのかい?
やっと、平穏と平和が訪れたのかい?
だから、お前にこの言葉を贈ろう。
世界に平和と平穏をもたらす戦いに勝利を!
ピースなるものの サインはV!

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