(承前)
こうしてみると日曜日に夕刊がないのは助かる。だってまだ昨夜の夕刊を読み続けているのと同じだからだ(笑)。
5月21日付け夕刊3面には北朝鮮で山火事と見られる煙りが発生し、それが海を越えて能登半島、新潟に流れている衛星写真が掲載されている。最近では核保有国を宣言し、プルトニウムの抽出をしようとしていると不穏な動きの隣国だ。核を切り札にしようとしているようだ。国民は相変わらず飢えと食糧難に苦しんでいるというのに……。
その隣には「ペットボトル再生」をテーマにした連載記事「見えてきた環境新技術」の(下)。ペットボトルのPETはポリエチレンテレフタレートの略称で、石油から抽出したテレフタル酸とエチレングリコールを化学反応させてつくる。BTBという異物除去の技術が出来、ペットボトルは半永久的に使用が可能となった。
2003年には、ペットボトルの回収率は60.9%であるが、現在回収業者間で奪い合い状態で、タダで日本容器包装リサイクル協会に手渡すより、金になる業者間での入札に回っている(おおよそ回収されたものの65%ほど)。その多くは経済発展を続ける中国へ売られていく!
リサイクルの世界でも、市場経済に巻き込まれてそれは売れる資源である。記事はこうまとめている。
「使用済みペットボトルはかってゴミだった。しかし、今や市場性のある商品となった。資源循環の輪がつくれる技術をうまくビジネス化しないと、環境保護には役立たない。技術の進化と、それに沿う政策の適応力が問われている」(秋山惣一郎・記者記名記事)
結局、最期の段落でサジを投げているような記事だ。リサイクル可能な資源はますます輸出されていくことになるだろう。そのうち、そしてフォロー型の生産を続けるだけの(そうであれば、再生技術やそのプラント作りに金を出費しなくとも済むのだ!)日本などは品薄になり、ペットボトル商品自体が容器代を含めて値上がりせざるを得なくなって、今度は競争力をうしなうだろう。
その下に論説委員の囲みコラム「窓」があり、石原都知事も小泉首相も花粉症で悩んでいるのだそうだ。都知事は自分が花粉症になったとたんに、国の林業政策の失敗を非難しだしたらしい。こうもどこの山々もが杉ばかり植えられたのは、戦後に手間もかからず、安い木だという理由でさかんに植林されたことによるらしい。それが、高度成長期に安い外洋材に押されて山はすっかり荒れ果ててしまった。とすれば、これはコラムの内容からは飛躍するが、杉花粉症もまた人災ということになるだろう。杉ばかりを責める訳にはいかないだろう。
5面の文化芸能欄には、久方ぶりの島尾ミホさんの写真とインタビューが掲載されている。最近、夫である島尾敏雄の『死の棘日記』(新潮社)が刊行されたことによるものだろう。しかし、今年85歳のミホさん(写真家島尾伸三のお母さん)の記憶は確かだ。
「あの前の日のことです。」とミホさんはインタビューに答えだしている。ということは、小説によれば「昭和29年(1954年)9月29日」のことということになるだろう。50年前の夫の不義(不倫)を知った日の鮮明な記憶!
自身「50年たったのに、遠い日という気がしません。」と答え、そしてこのようなエピソードも披露している。「本の最終校正ゲラを編集者の方にファクスで送り終えましたら、人の気配を感じまして、見ると島尾が正座しておりました。白地に紺の井げた模様の着物を着て、黒ちりめんの帯を締め、若々しい姿で。あらっ、お父様と呼んで、肩に手をかけようとしたら消えました。」(インタビュアー:白石明彦)
14面には、先月まで在命し、死の間際に「32歳ガン漂流 エヴォリューション」という闘病記、処女小説「ヴァニシングポイント」をあいついで出版し、ブログで「最期の血の一滴まで書き続けてやる」と宣言、「作家」として死んでいった奥山貴宏さんの記事。2001年8月21日から書き出した4年半のブログの最期の記事は今年の2月26日のその名も「孤独死」であった(ウォン・カーウァイ監督の「ブエノスアイレス・摂氏零度」の感想)。断ち切られた奥山さんの壮絶な記録と正直な心情が発露されたブログはまだここから読める。「さるさる日記・毎日更新奥山のオルタナティヴ日記/31歳〜ガン闘病編」→
http://www2.diary.ne.jp/user/109599/
ホームページ「TEKNIX」はこちら→
http://www.teknix.jp/
作家になりたくて、作家になろうとし、作家として死んでいった奥山貴宏さんの冥福を祈ります。
(おわり)
(写真は奥山貴宏さん。「(有)私には夢がある」のセミナースナップから転載しました。ありがとうございました。)

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