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さすが
崇徳上皇の力は偉大だ。
悪縁切りの神様としても崇められ、そのご利益も確かなもの。
ある女の子を「あらゆる悪縁から守ってください」と祈願したら、願いは聞き入れられた。
だが……。
問題はこの私自身も「彼女にとっての悪縁」として切られて、彼女は別の男と良縁で結ばれた、ということだ。
とほほ。
どうも、こんにちは。
今年の桜もとうに散った今更ですが今回は、
『霊場魔所の桜』今年(2018年、平成30年)最後の記事といきたいと思います。
この記事に載せている安井金比羅宮の夜桜の写真は、今年の三月末頃、今から二ヶ月ほど前に撮ったものですが。
あれから、冒頭の件からようやく落ち着いて、気持ちの整理も付いて、語る気になりましたので、今回記事にします。
まずはいつものとおりアクセスから。
最寄りの交通機関は
京都市営バス「東山安井」停留所です。
そこか東山通り沿いに歩いてすぐの場所に、東大路通り沿いの鳥居と夜桜が見えます。
ここから中に入ります。
鳥居の看板にも書かれているように、「悪縁祈願」と「良縁祈願」のご利益があると信じられている神社です。
ところで私は、
『京都妖怪探訪』シリーズなどで数多くの寺社仏閣や祠などを巡り、お参りもしてきましたが、その時にひとつ、決めていることがあります。
それは、
「神様や、仏様にお願い事をしない」
ということです。
何故か。
詳細は
こちらのブログ記事に書いてありますが、その理由は以下の3つです。
ひとつは、「神様や仏様とは、畏れ、敬うべきものであり、人間が依存するべきものでも、自分の野心や欲望などの為に利用するべきものではない」と考えるから。
ふたつ目は、もし何かお願いごとをしたら、その神様や仏様、宗教団体に対して皮肉や、批判的なこと等が言えなくなってしまうから。記者や作家が、何らかの便宜や贈り物をくれた相手に対して、自由にものが言いにくくなるのと同じ様になってしまうのではないか、とも考えるから。
三つめは、「(それが神仏であれ、鬼や魔、妖怪であれ)人間より上の存在、人間より力のある存在に、何かお願いをしたり、何かを与えられたりすること自体が、実は恐ろしいことなのではないか」と思うからです。
ですから、多くの寺社仏閣などの霊場魔所を巡っていますが、「礼拝はしても、願い事をしない」ということを守ってきています。
本シリーズを始めて最初のうちは、お願いとかしたこともありましたが、今覚えている限りでは
シリーズ第225回の
神泉苑の時を最後に、「もうお願い事はするまい」と誓ってから、もう6年間守り続けてきました。
と、言いたいところですが……。
すみませんでした。
実を言いますと、その自戒を破って、お願い事をしたことが一度だけありました。
それが、今回記事で訪れた安井金比羅での祈願なのです。
祈願の内容は……。
ある女の子を、正直に言えば憧れだった女性を「あらゆる悪縁から守ってほしい」というものだったのです。
かつて私には、好きな女の子が居ました。
とびきりの美人というわけではなかったのですが、一緒に居れば楽しく、幸せな気分になれるような、そんな素晴らしい魅力を持った女の子でした。
そんな彼女ですから、ファンも多く、さらに恋心すら抱く男が何人も居ました。
私もその中の一人でした。
ある時彼女が、長年抱き続けてきた夢の実現を目指して、上京することになりました。役者を志していた彼女が何と、東京の芸能事務所所属の養成所のオーディションに合格し、その機会を活かす為の決断でした。
これで彼女と会えなくなる。
彼女に思いを寄せる男たちの中には、焦って浮き足立つ者も現れ始めました。
思いをうちあける者も居たようですが、「今から数年間は恋愛もしないで頑張りたい」と断られたそうです。
その中から一人、ストーカーと化してしまった男が現れました。
私ですか?
「彼女が夢の為に決めたことだから、私にはそれを止めたり、邪魔したりすることはすべきではない」と考えて、「頑張って」とだけ言って静かに見送りました。その時のことは、
こちらの過去記事に書いてあります。
さて、ストーカーと化した男ですが。
非常に思い込みの激しい人物だったようで、彼女とは大して深い関係ではなかったにも関わらず、さらに一度ふられたはずにも関わらず。
その事実を受け入れない、納得しないどころか、「自分がこんなにも好きなのだから、彼女の方も俺のことが絶対に好きに違いない」などと思い込んでしまって、周りの人たちの意見も全く聞かず、彼女への執着を捨てようとしない。つきまといを続けようとする。
そのうちに、冷静になるように意見した第3者や、彼女の周辺の人たちに対しても、「自分と彼女のことを勝手に邪魔している」という被害妄想から敵対心を抱くようになり、ネットでその人たちへの中傷攻撃まで始めるようになりました。
彼女を、そんな人物とは会わせるわけにはいかない。
周囲の人たちはまずます、ストーカー化した男への警戒を強め、それもあったのか、彼女自身もそれまで細々ながらも続けてきたSNSの更新を止めてしまいました。
ストーカー男の言動は、ますます危ういレベルにまでエスカレートしていったようで、彼女や周囲の人たちは(彼女につながる情報や手がかりを漏らさない等)警戒心を強め、遂には警察にまで相談するようになりました。
ところが警察もまた、今ひとつ心許なかった。
実際に相談に行った、彼女の友人や旧職場上司の人などの話によれば、警察の対応も担当者によってまちまちで、今ひとつ安心できるものではない。
(※警察にストーカー問題の相談に訪れたら、その時対応した担当警察官が女性の場合はわりと真剣に取り組んでくれる一方で、担当警察官が男性だった場合は実に頼りない対応しかしてくれないという傾向があったとか)
何よりも、問題の人物のストーカー行為をやめさせる為の決定的な対策が見つからないまま、事態は膠着し、私を含めた関係者や当事者の焦りだけがつのっていきました。
何とか彼女を、ストーカーから守ってやれないものか。
その為に私にも出来ることはないものか。
そこで思い出したのが、
本シリーズでも何度かとりあげた、縁切りの神様でもあった「安井金比羅宮」でした(※
第5回、
第23回、
第155回など)。
「そうだ。安井金比羅宮で崇徳上皇に祈願して、おすがりしようか」
そういう考えが頭に浮かびました。
が、ここでひとつ、私にとっての問題がありました。
本文はじめの方でも述べましたが、
本シリーズを続けていく上で私は、次のルールを自らに課していたからです。
「神様や、仏様にお願い事をしない」
いくら思いを寄せる女性の為とはいえ、このルールを破ることは、私にとっては非常に抵抗がある、心苦しい選択でした。
それは、自らの思想信条に反するに等しいことだったからです。
また、日頃取材させてもらっている神様や仏様、そして妖怪や英霊たちに対する裏切りになるのではないか。そのようにも思えたからです。
さらに、こうしたルールを課していることを公表した、弊ブログ読者にも嘘をついたことにならないか。
いろいろな思いが巡り、「神様にお願い事をする」という選択肢をなかなかとれずにいました。
しばらくの間、迷いました。
が……。
最終的には「祈願する」という決断をしました。
もちろん、結構な心理的な抵抗感がありましたが、藁にもすがるような思いで祈願しました。
「彼女をストーカーの悪縁から、否、全ての悪縁から守ってください」
と。
あれからしばらく、特に深刻な事態にもならず、平穏無事に過ぎていきました。
その間、mixiもTwitterもやめてしまった彼女との連絡もすっかり途絶えてしまいました。
それから数年経った最近、突然に彼女の近況を知ることができました。
それほど大きくもない、有名でもない舞台でしたが、何とヒロインの座を射止めたというのです。
何年かぶりに彼女に会える。
女優として成長した彼女の舞台が見られる。
そう思って、喜んで上京し、彼女の舞台を観に行きました。
そして、彼女と何年かぶりに会って、話すことができました。
ただ……。
この時、彼女の左手藥指には指輪が。
そして彼女と結ばれていたのは、その舞台で主役を演じた男だったのです。
「悪縁を切り良縁を結ぶ」
安井金比羅のご利益は確かなものでした。
「彼女を全ての悪縁から守ってください」という私の願いは、崇徳上皇によって叶えられ、その上彼女は良縁まで得ることができました。
ただ……。
私自身が、彼女にとっての「悪縁」として切られるというオチだったとは。
何というか、「典型的な、絵に書いたような三枚目」になってしまいましたよ。
やはり神様や仏様にお願いする時には、何らかの代償が伴うものなのか。
いや、そもそも彼女にとって私は「悪縁」か、良く言っても「その他大勢」に過ぎなかったのか。
もうただ苦笑する他ない。(乾いた)笑いが止まりませんでした。
こうして安井金比羅の桜を観るのは、今年で何度目になるでしょうか。
しかし、こんなにもほろ苦い思いで観た桜は初めてのような気がします。
今回はここまで。
また次回。
*追記:
今回撮った光景の中に、よく見たら光の玉が。
これは一体?
「まあ、頑張れよ」という神様の激励だとかだったらいいのですが。
*安井金毘羅宮へのアクセスについては
こちらを参照。
*安井金毘羅宮のHP
http://www.yasui-konpiragu.or.jp/
*『京都妖怪探訪』シリーズまとめページ
http://moon.ap.teacup.com/komichi/html/kyoutoyokai.htm