「2017年・一条戻り橋の桜 @ 京都妖怪探訪(481)」
季節の風景
(記事中の写真はクリックで拡大します)
どうも、こんにちは。
リアルでは、そろそろ桜の見頃は過ぎているようですが、今年の
霊場魔所の桜シリーズの第6弾を。
今回は、
大陰陽師・安倍晴明や、渡辺綱と鬼女の伝説など、いくつもの不思議な伝説が遺されている「一条戻り橋」の桜を観て回ります。
まずはいつもの通り、アクセスから。
最寄りの交通機関は、
京都市営バス「一条戻橋・晴明神社前」停留所及び、
「堀川今出川」停留所です。
写真は
「堀川今出川」停留所の付近、ここでも桜が一杯です。
両バス停の場所から、堀川通りを少し南へ、堀川通りと一条通りとが交わる場所に、かの「一条戻橋」があります。
一条戻橋は、
本シリーズでも
第2回や
第112回などでも取り上げたことがあります。
それほど、いくつもの不思議な伝説が遺された場所です。
過去記事のおさらいになりますが、有名なものだけで以下の3つがあります。
*死者蘇生伝説
『撰集抄』巻七に語られている。
熊野の僧「浄蔵」が父・三善清行の葬列にこの橋で出会い、しばし観法を行ったところ、父・清行が蘇生したという。それで「戻橋」という名前が付いたという。
*渡辺綱と鬼女の伝説
『平家物語』剣巻に語られている有名な話。
源頼光の部下である四天王の一人、渡辺綱が夜中に戻橋を通りかかると、美しい女がいた。
「夜も更けて一人では怖いから」と家まで送ってほしいと頼まれた。綱はこんな夜中に女が一人でいるとは怪しいと思いながらも、それを引き受け馬に乗せた。すると女はたちまち鬼の正体を表し、綱の髪をつかんで愛宕山へ飛んで行こうとした。
綱は、とっさに鬼の腕を太刀で切り落として逃げることができた。
腕は渡辺綱の屋敷に厳重に封印されていたが、綱の義母に化けた鬼に取り戻されてしまったという。
*十二神将伝説
前回の晴明神社に祀られている陰陽師・安倍晴明が、配下の式神(陰陽師が使役するという精霊)である十二神将を、戻橋の下に隠したという。
などなど。
一条戻橋の付近を、堀川沿いに散策します。
確か「妖怪学」というか、妖怪研究などの話で読んだことがあるのですが。
「妖怪や幽霊などが出現するのは‘境界’である」という説があります。
「境界」とは、町や人里などの「人の住む世界」と、その外の世界との境目。そこに妖怪が現れる、というか妖怪の伝説や伝承がある、という話です。
平安中期以降、平安京の中でも堀川から西の地域は衰退・荒廃が著しくなり、異界(都より外の世界)のように考えられていた。当時の堀川はまさに「境界」であったので、このような鬼や妖怪などの伝説・伝承が遺されているものと考えられます。
堀川に降りて、この橋の下へと行きます。
伝説・伝承では、確かここに、
陰陽師・安倍清明が、「十二神将」と呼ばれる配下の
式神を隠していたそうです。
以前この堀川は、コンクリートに覆われていただけの殺風景な水路に過ぎなかったのですが、平成9年(1997年)から平成21年(2009年)3月まで続けられた「堀川水辺環境整備事業」により、きれいに整備されました。
ところでその当時の事情を知るという、さる方から聴いた話ですが。
その工事の時、一条戻り橋の下を掘ったら、石の棺が出てきたそうです。
「十二神将を封じた石棺が一条戻り橋の下に埋められた」と記述された古文書があり、その石棺がそれか、とも思われたそうですが。
結局、誰もそのふたを開けることができないまま、石棺は一条戻り橋の下に埋め戻されたそうですが。
うーん。
惜しいことをしたなあ、という反面、少しほっとしたような、複雑な気持ちになりました。
その話が本当なら、今でもその石棺はこの下に埋まっているでしょうね。
もっとも、私にはここを掘り起こすことなど出来ませんから、その話の真偽を確かめようもないのですが。
今では市民生活の中に溶け込み、市民の憩いの場となったこの場所も、こうして観ればまた、違って見えるものです。
今回はここまで。
また次回。
*『京都妖怪探訪』シリーズまとめページ
http://moon.ap.teacup.com/komichi/html/kyoutoyokai.htm
