「白峯神宮・左近の桜と崇徳天皇欽迎之碑 @ 京都妖怪探訪(480)」
季節の風景
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どうも、こんにちは。
ほとんどの場所で、そろそろ桜の見頃は過ぎているようですが、今年の
霊場魔所の桜シリーズの第5弾を。
今回は、
日本最大の怨霊・崇徳上皇ゆかりの神社、
白峯神宮に咲く「左近の桜」と、新しく建てられたらしい「崇徳天皇欽迎碑」を紹介します。
京都市内、今出川通りに面した白峯神宮の入り口。
京都市営バス「堀川今出川」停留所のすぐ近くです。
門から境内へ。
本殿、舞殿の前には、「右近の橘(うこんのたちばな)」と「左近の桜(さこんのさくら)」が並んで立っています。
その前に、そもそも「右近の橘(うこんのたちばな)」と「左近の桜(さこんのさくら)」の説明を少し。
いわゆる御所、平安京大内裏の正殿「紫宸殿」の前庭に植えられている橘と桜の木です。
「左近」「右近」とは、共に宮中の警護などの役割を果たした「左近衛府」「右近衛府」の略です。「左近」紫宸殿の東側に、「右近」は紫宸殿の西側にありましたので、東側に植えられた桜は「左近の桜」と、西側に植えられた橘を「右近の橘」と呼ばれるそうです。
確か、
シリーズ第437回で紹介した「仁和寺御殿」の前にも同じ様なものがありました。どちらも「内裏」、天皇や皇族の居る場所を象徴するものです。
この場所にこれがあるということは、
保元の乱に敗れて平安京を追放された崇徳院が、天皇として認められたことを意味します。
怨霊となった崇徳院、その鎮魂の為に創建された白峯神宮では、天皇として、皇族の一人として葬られているのです。
まずは「右近の橘」。
この時期は青い葉が繁っているだけですが、12月頃に訪れた時には、ご覧のように見事な実をつけていました。
少し調べますと、橘はみかんの仲間であるカンキツ類で、日本固有の種類だそうです。
さらに『古事記』『日本書紀』には、
垂仁天皇が
田道間守(たじまもり)という人物に、
「常世の国(とこよのくに)」という異世界から「非時香菓(ときじくのかぐのこのみ)」という不老不死の霊薬を持ち帰らせたという話が記されています。さらに『古事記』には、橘をその霊薬だとする記述もあるそうです。
もっとも花や実よりも常緑の葉の方が「永遠」を顕しているということで喜ばれたそうです。
その対となっている「左近の桜」。
この桜は「撫子桜(なでしこざくら)」という種類の桜です。
その名の通り可愛らしい花を咲かせています。
桜を観て、本殿に礼拝して。
境内の一角を観ますと、このような碑が立っていました。
これは「崇徳天皇欽迎之碑」というものだそうです。
これは、崇徳院の霊を天皇として迎える為の、天皇として祀るための碑でしょうか。
崇徳院が詠んだ百人一首77番目の歌、「瀬をはやみ 岩にせかるる滝川の われても末に あはむとぞ思ふ」という百人一首にも選ばれた名歌の碑も。
「岩で分けられた滝川の水のように、一度は別れてもいつかは再開しましょう」という意味の愛の歌です。
それゆえ、崇徳院は良縁・恋愛祈願の神様としても信仰されています。
またこの碑の小庭は、この歌を表現しているそうです。
悲劇的な最期を遂げ、怨霊となった崇徳院も、現在では静かに眠り、あるいは神様として我々を見守ってくれているようです。
この美しく、可愛らしい桜を見せてくれたことに感謝の意を捧げて、また来年もこの桜を観られたらいいなと思って、この霊場を後にします。
えっ!?
何を願ったのですかって?
いえいえ、本当にそれだけですよ。
前回及び
シリーズ第454回で申し上げたとおり、原則として神様にはお願いはしないのですよ。
特に、恋愛祈願はしないようにしていますので(笑)。
今回はここまで。
また次回。
*白峯神宮へのアクセス・周辺地図は
こちら。
*白峯神宮のHP
http://shiraminejingu.or.jp/
*『京都妖怪探訪』シリーズまとめページ
http://moon.ap.teacup.com/komichi/html/kyoutoyokai.htm
