どうも、こんにちは。
シリーズ前々回と
前回に続いて、天狗伝説や「魔王尊(まおうそん)」への信仰で有名な洛北の霊場・鞍馬を訪れています。
今回は、「九十九折参道(つづらおりさんどう)」の途中にある「由岐神社(ゆきじんじゃ)」を訪れます。
そこはかつて、天下に大事があればその責任を押しつけられるという、気の毒な「スケープゴートの神様」であり、また英雄・源義経ゆかりの地のひとつだったのです。
シリーズ前回の続き。
「魔王の滝」や「鬼一法眼社(きいちほうげんしゃ)」のある「護法境(ごほうきょう)」と呼ばれる辺りを過ぎて、あの清少納言が『枕草子』で「近うて遠きもの」と評した「九十九折参道」を上っていきます。
その上りはじめの辺りで、「由岐神社」が見えてきます。
「仁王門」を過ぎますと、石段と、見上げるような巨大な杉が。
この巨大な杉も「大杉社」という末社の御神木だそうです。
境内には8つの末社があり、「八所大明神(はっしょだいみょうじん)」という八人の神様を祀っています。
石段の両脇に8つの末社が並んでいます。
これはそのひとつ、
「事代主(コトシロヌシ)」と
「大山祇命(オオヤマツミ)」が祀られている「岩上社」です。
石段を上りきった場所に本殿が立っています。
主祭神は
「大己貴命(オホマムチ)」と
「少彦名命(スクナヒコナ)」です。
元々は宮中に祀られていたそうですが、天慶3年(940年)、当時戦乱や天災が相次いだので、
朱雀天皇の名で、北方守護の為、この地に移されたとされています。
この由岐神社は、毎年10月22日に行われる
「火祭(鞍馬の火祭、由岐神社の例祭)」が有名ですが、宮中からこの地への遷宮の際、松明や神具を携えた大行列は十町(およそ1キロ)に及んだとされ、これに感動した当時の住民が、由岐明神の霊験と儀式を後世に残そうと伝えたのが始まりだそうです。
「由岐神社」という社名の由来ですが、国や天皇の危機・難事の際、神前に
靫(ゆき。矢筒のこと)を献じて祈ったことによります。
洛中(京都の街中)にある「五条天神社」では、ここと同じ祭神が祀られていて、国難時にはそこの神様が責任をとらされていたそうです。国に何か重大な問題が起こったら、五条天神社の神様が「流罪に処された」印として、役人が神社の扉に靫(矢筒)を架けて閉じるということが行われていたそうです。
つまり「スケープゴート」の神様。何か問題があったら、その責任を押しつけられるという、何とも気の毒な神様なのです。
「吉田兼好の『徒然草』には、かつて由岐神社でも同じことが行われていた」と聞いたことがありました。それで『徒然草』の第203段を読んでみると、確かにそういう記述がありました。
それによりますと、「今では忘れられてしまったが、天皇の不興を買った者の家に
靫をかける風習があった。検非違使の役人に
靫をかけられた家は誰も出入りしなくなる」「天皇の病や疫病などで世が乱れた時には、五条の天神社に
靫がかけられた。鞍馬の靫の明神(由岐神社のことか?)にも、靫をかけられたことがある」とありました。
こういう話を聞いていると、何だか少し哀しくなってきました。
現代日本の社会や組織でも、何か問題が起きると、責任を押しつけられる人が居たりします。
例えば、贈収賄など政治家の犯罪や不祥事が起こると、本当の責任者である政治家本人は逮捕・起訴されず、その下の秘書や会計係などがトカゲのしっぽ切りみたいに捕まったりとか。あるいは秘書や金庫番など、政治家の下に居たキーマンが何故か自殺して、それ以上事件の真相が追求できなくなってしまったりとか。
政界に限らず会社等でも、何か不祥事があった際に、トップの代わりに責任を押しつけられる人が居たりします。
日本社会には、はるか昔から責任転嫁の風習が。えらい人が責任を下の者に押しつけるというシステムあったのかなあ、と。
由岐神社と五条天神社には、もうひとつ特筆すべきことがあります。
日本人なら誰でも知っている英雄・源義経が、鞍馬に居た頃から信仰し続けてきた神様だという点です。
源義経は、鞍馬に居た頃からここの神様を信仰していたそうです。
鞍馬から都に降りた後でも、先述の五条天神社に参拝に訪れたそうです。由岐神社と同じ神様を祀っていましたから。
源義経が弁慶に出くわし、戦ったという五条大橋とは、実はその五条天神社の前に昔あったという橋のことなのです。その辺の詳細については、
シリーズ第413回で少し触れています。
それにしても、「天下に何か悪い事があればその責任を押しつけられる神様」を、源義経がそこまで熱心に信仰していたのは何故か?
ここ由岐神社に祀られている神様、
「大己貴命(オホマムチ)」と
「少彦名命(スクナヒコナ)」とは何者なのか?
本殿より少し奥へ行った場所に、末社のひとつ「三宝荒神社(さんぽうこうじんしゃ)」です。
ここで祀られている
「三宝荒神(さんぽうこうじん)」とは、仏教で言う「三宝」、「仏」「法」「僧」を守護し、不浄や災難を除去する仏神です。
こういう仏神が祀られているのも、神仏習合の国・日本ならではですね。
ところでここで、主祭神から末社に祀られている神様まで、ここで祀られている神様を振り返ってみましょう。
主祭神の一人、
「大己貴命(オホマムチ)」は、別名を「大国主命(オオクニヌシ)」ともいい、もう一人は
「少彦名命(スクナヒコナ)」。
つまり出雲神話で、国造りとその運営を行ったことで有名なコンビです。
末社に祀られている神様を調べてみると、以下の通りに。
・三宝荒神社(
(三宝荒神))
・白長弁財天社(
弁財天)
・冠者社(
素戔嗚命、スサノオ神)
・岩上社(
事代主命と
大山祇命
・大杉社(願掛け杉の神木)
八幡宮社(
八幡大神)
こうして見ると、神仏習合の神様と、「国津神(くにつかみ)」と呼ばれる出雲系の土着神が並んでいます。
ここで少し日本神話をおさらい。
日本神話に登場する神様たちには、大きく分けて「天津神(あまつかみ)」と呼ばれる神々と、「国津神(くにつかみ)」と呼ばれる神々とに分類されます。
「天津神(あまつかみ)」とは
天照大神(アマテラス)を筆頭とする、
「高天原(たかまがはら)」に居た神々。皇室の祖、日本人の総氏神ともわれる神々です。
「国津神」とは、
「大国主命(おおくにぬし)」などの土着の神々。
有名な「天孫降臨」神話、「出雲の国譲り」神話では、「国津神」から「天津神」へと国(の支配・統治権)が譲り渡されています。
これは、出雲系の氏族が大和朝廷へ服従させられた歴史的事実を意味していると、よく言われています。
つまりここ由岐神社は、出雲系土着の、被征服民の神様を祀る神社だったのです。
何故、本来なら国の難事に責任を負うべき神様や人々(支配神たる天照大神など天津神、天皇や貴族など)の代わりに、その責任を押しつけられたのかが、ようやくわかりました。
つまり当時の支配層は、何か大きな問題が起これば、被征服者の神様に責任を押しつけるようなことをしていたわけです。被征服側をスケープゴートにしていたのです。
こう考えたらなるほど納得がいくのですが……それにしても、随分と酷い話だと思います。
この他にも、被征服者の出雲系土着民がどんな酷い目に遭わされたのか、それを匂わせるような話が
シリーズ第336回等で記されています。
そんな被征服民の神様を、源義経は熱心に信仰し続けた。
これは何故だろうか?
興味はありますが、そこまではわかりませんでした。
この後、「九十九折参道」と呼ばれる山道を、山頂の本堂と、さらに奥の「魔王殿(まおうでん)」を目指して進みます。
ところで、この記事をアップした6月19日の翌日、20日は鞍馬寺・本堂で
「竹切り会式(たけきりえしき)」という祭事が行われますが、今年は仕事が入って行けないのが残念です。
それでは今回はここまで。
この続きはシリーズ次回に。
*鞍馬寺へのアクセス・周辺地図は
こちら。
*由岐神社のHP
http://www.yukijinjya.jp/index.html
*鞍馬寺のHP
http://www.kuramadera.or.jp/index.html
*京都妖怪探訪まとめページ
http://moon.ap.teacup.com/komichi/html/kyoutoyokai.htm
