「特別編:水木しげる先生ご逝去 @ 京都妖怪探訪(424)」
オタ活報告
どうも、こんにちは。
今回も
『霊場魔所の紅葉シリーズ』と行きたかったのですが、今回も変更です。
というのも、私にとって……というより、私を含む日本全国の妖怪マニア・ヲタクにとって大きな出来事が起こったのです。
もう既にご存知の方も多いと思いますが、あの
水木しげる先生が昨日(平成27年11月30日午前7時18分)、ご逝去なさいました。
93歳という大往生であったそうです。
水木しげる先生と言えば。
あの『ゲゲゲの鬼太郎』『悪魔くん』などの有名な妖怪漫画の原作者としてだけでなく、日本や世界の妖怪に関する著作を数多く記した妖怪研究家として全国に知られた人物です。
我が国の妖怪研究家だけでなく、マニアやオタクなど妖怪の愛好家には水木先生の影響を受けた方も多いはず。
というより、
京極夏彦氏や
荒俣宏氏などのプロから、一般のノンプロまで、全国の妖怪を愛する人々のほとんどは水木先生の影響を受けているはずだと思います。
それほどの大人物です。
この私も、妖怪愛好家の一人として、水木先生の影響を強く受けた者の一人です。
小学生の頃、水木先生の妖怪に関する著作を読んで以来、その世界に完全に魅了されてしまいました。
最初に読んだのは、小学館入門百科シリーズ76『妖怪入門・世界編』という本でした。
その後、小学館入門百科シリーズの、水木先生が書かれた他の著作を夢中になって買い集めて読み漁りました。
あれから30年以上経った今でも、当時買い集めた本の数々は、今でも宝物として大切に保管してあります。
以下の写真は、そんな私のコレクションの一部ですが。
今から思えばこうした本が、妖怪愛好家としての私の原点だったのです。
これらの本がなければ、今の私はなかったし、こうして
『京都妖怪探訪』などというシリーズ記事を書いていることもなかったわけです。
つまり、
このシリーズが今あるのもまた、水木しげる先生の存在があったからこそ、なのです。
もちろん、『ゲゲゲの鬼太郎』や『悪魔くん』などの漫画・アニメ作品も夢中になって読みあさりました。
特にアニメでは、『ゲゲゲの鬼太郎』の第3シリーズ(1980年代)から夢中になり、ほぼ毎回欠かさず観ていました。
ゲームでも、当時大ブームだった任天堂のファミリーコンピューターのソフト
『ゲゲゲの鬼太郎・妖怪大魔境』を夢中になって遊んでいました。
さらに、妖怪漫画家としてのイメージの強い水木先生ですが、戦記漫画や歴史漫画の作者としての顔も持っておられます。
自ら戦地で瀕死の重傷を負い、片腕を失ったという経験も持つ人物として、リアルで生々しい戦争の現実を描かれました。
先生ご自身は市民運動や反戦平和運動に関わるようなタイプではないものの、不条理な戦争の現実を描き、反戦的な発言もされた方でもありました。
特に、安倍自民党政権下で「戦争できる国造り」が急速に進められようとしている現在、いろいろな意味で貴重な人物でした。
この一点に関してのみ言えば、93歳の大往生であったにも関わらず、亡くなられたことが惜しまれますというか、悔やまれます。
逆にいえば、「反戦平和の表現者としての水木先生を失った」という点と、『ゲゲゲの鬼太郎』と『悪魔くんの千年王国』の続編をもう読めないという2点を除けば、今回の大往生は、私にとってそれほど悔やんだり、悲しんだりすることではありませんでした。
「惜しい方を亡くした」「自分自身に大きな影響を与えた人物の一人を亡くした」というはずなのですが、不思議と悲しいとかいう気持ちは起こりませんでした。
深夜アニメ化もされた水木作品のひとつ、『墓場鬼太郎』エピソードのひとつ『アホな男』では。
あの世に導かれて戻ってこられなくなった水木先生が、仕事や借金などといった現世からの苦労やしがらみなどから解放され、死者たちのオリンピックを観たりして、楽しく過ごすというラストでした。
おそらく水木先生は、『アホな男』で描かれたご自身のように、今頃あの世で楽しくのびのびと過ごしておられるのではないか。
私にはそのように思えてくるのですが。
きっと、水木先生は。
人間としての生を終えられましたが、これから先は本当の妖怪となって、妖怪の神様となって生き続けられることでしょう。
今まで本当にありがとうございました。
先生の影響で妖怪愛好家となった者の一人として、最後にこの言葉を贈ります。
それでは今回はここまで。
また次回。
*水木プロダクション公式サイト
http://www.mizukipro.com/。
*境港市観光協会のHP
http://www.sakaiminato.net/
*京都妖怪探訪まとめページ
http://moon.ap.teacup.com/komichi/html/kyoutoyokai.htm
