「2014年・千本釈迦堂のおかめ桜 @ 京都妖怪探訪(342)」
京都散策
どうも、こんにちは。
2014年の
『霊場魔所の桜』シリーズ、第2弾です。
今回は、
シリーズ第177回と
第178回とでとりあげました、‘千本釈迦堂’こと大報恩寺の桜の様子をお届けします。
シリーズ第177回の時には、境内の「おかめ桜」の見頃が過ぎて、少し残念な思いをしたのですが、今回は見頃を見計らって訪れました。
千本釈迦堂の入り口から。
入り口の門前にも、このように見事な桜が。
門から境内へ。
本堂の前に、名物の「おかめ桜」が見えてきます。
おかめ桜。
この時はまだ満開というわけでもないかったようですが、それでも美しく咲き誇っていました。
ちょっと失礼して、桜の樹の内側からも。
おかめ像とおかめ桜。
この寺院建立にまつわる「おかめ伝説」。
シリーズ第177回のおさらいになりますが、その内容はだいたい以下のとおり。
鎌倉時代、京都の西洞院一条の辺りに、長い飛田守高次という大工の棟梁と、その妻・阿亀(おかめ)が住んでいました。
義空上人が千本釈迦堂を建立し、本堂建立の棟梁に高次が選ばれます。
しかしここで高次は、信徒が寄進した4本の天柱のうち一本を短く切りすぎてしまうという失敗を犯してしまいます。
思い悩み続ける夫を見かねた妻・阿亀は、古い記録から「(短く切りすぎてしまった部分に)枡組を用いたらどうか」と提案します。
これが成功し、見事な本堂の骨組みが出来上がりました。
しかし阿亀本人は、夫が「女の知恵で成功した」という評価が世間に広まるのを恐れて、本堂上棟式を待たずして自ら生命を断ちました。
(「こんな理由で死なければならないのか?」と、私は疑問に思ったのですが……。当時の感覚というのが、私にはよくわかりません……)
高次は、上棟式の時に亡き妻の面を御幣につけて飾り、その冥福と本堂の無事完成を祈ったとされます。
またこの話を聞いた人々は、阿亀の菩提を弔うために、境内に宝篋印塔を建て、それが「おかめ塚」と呼ばれるようになりました。
またこの話から、「建築工事成就」や「工事安全」、「商売繁盛」、「家内安全・繁栄」、「女性の厄難除け」などを祈る福徳信仰として「おかめ信仰」が広まりました。
以上が、おかめ伝説のおおまかな内容です。
昔、お正月に遊んでいた「福笑い」などでお馴染みの「おかめ」の由来がここにあったとは。
なお境内には、桜以外にも美しく咲く花が。
それでは今回はここまで。
また次回。
*‘千本釈迦堂’大報恩寺へのアクセス・周辺地図は、
こちらをご覧ください。
*京都妖怪探訪まとめページ
http://moon.ap.teacup.com/komichi/html/kyoutoyokai.htm
