「2013年愛宕道・壇林寺の紅葉 @ 京都妖怪探訪(317)」
京都散策
どうも、こんにちは。
霊場魔所の紅葉シリーズ。
愛宕道の霊場を巡り、その紅葉の光景をお届けする2回目です。
今回は、壇林寺(だんりんじ)とその紅葉の光景を。
この寺は、平安時代の始めに壇林皇后こと、嵯峨天皇の皇后・橘嘉智子が創立し、平安初期の仏教と文化の中心地になったともいう、歴史と由緒のある寺です。
前回の続き、今回も愛宕街道を歩き続けます。
途中、案内板や石柱とかも立っていますので、目指す場所がどこにあるかもわかりやすいです。
道中にも、こういう紅葉の光景も見られたりして。
また喫茶店とか、食べ物や土産物を売っている店もあったりして。
たとえば、こんないちご大福や団子などを売っていたりして。
ちょっと食べて、小腹を満たした後、さらに歩きます。
すると見えてきました。
目指す壇林寺の門が。
門の周りの様子を見ると、まだ青葉も残っている様子。
「嵐山・嵯峨に紅葉を見に来るのは、まだちょっと早かったかな」という気もしましたが。
「いや、青葉と紅葉が混じったグラデーションの光景も、それはそれでいいか」と思い直して、入ります。
境内の庭には、地蔵菩薩像なども。
ここで、この寺を創建したという壇林皇后の話を少し。
壇林皇后は、知性と美貌にあふれ、また信心深く仏教に深く帰依した皇后としても知られます。
そして、この
『京都妖怪探訪』シリーズにおいては、京都・東山の「六道の辻」付近に立つ西福寺に関係の深い人物として、とりあげたことがあります。
本シリーズを古くからの読者さんの中には、覚えておられる方もおられるかも。
さらに西福寺には、この壇林皇后が死んで、その遺体が腐って朽ちていく様子を描いた「壇林皇后九相図絵」というものが残されています。
壇林皇后とはどんな人物だったのか。
何故、そんな図絵が遺されているのか。
そういった疑問について、シリーズ
第203回で、京都で活躍中の妖怪絵師・葛城トオル氏が語っておられる動画がありますので、参考までに貼っておきます。
この時は、中へ進んでいくほど紅葉の赤も濃くなっていくようです。
本堂には壇林皇后の姿を模したとされる本尊が祭られてあり、本堂から続く霊宝館には、仏画や仏像など様々な宝物が並んでました。
その中で私個人の興味を引いたのが、寺所蔵の
天神(菅原道真)像です。ここの天神像、なんと子供の姿で表現されています。
「古来より日本では、鬼や神、あるいは怨霊となった者は子供の姿で表現される」とも言われてきました。有名な酒呑童子や茨木童子のように、鬼も「○○童子」とか呼ばれるのも有名な話ですし。
菅原道真といえば、元は怨霊。子供姿で表現されることの多い聖徳太子にも、怨霊説(=非業の死を遂げたという説)がささやかれています。この寺の道真像は、そうした説を裏付けてくれるようでもあり、興味深かったです。
本堂、霊宝館からさらに進みます。
庭園内にある「ひょうたん池」。
夏になるとモリアオガエルの産卵と卵が見られるそうです。7〜8月頃に来ると、面白い光景が見られるかもしれません。
さらに進みます。
出口の手前に、今までで一番鮮やかな紅葉が。
それでは、今回はここまで。
また次回。
シリーズ次回も、愛宕道沿い霊場の紅葉の光景をお届けします。
*壇林寺への地図は
こちらを参照。
*京都妖怪探訪まとめページ
http://moon.ap.teacup.com/komichi/html/kyoutoyokai.htm
*2013年11月29日追記:
本文及び文中リンクの一部にお見苦しい点がありました。訂正しましたが、ここでお詫び申し上げます。
