どうも、こんにちは。
今回は、京都でも最も有名な観光スポットのひとつで、また
本シリーズでも何度か取り上げたこのとある清水寺についての記事です。
毎年8月14〜16日の間に『千日詣り』という行事が行われます。
この期間に参拝すると、何と一日のお参りだけで千日分お参りしたのと同じくらいの功徳とご利益を得ることができるというのです。
その期間の間は、昼だけでなく夜間拝観・ライトアップも行われているため、朝から夜遅くまで多くの参拝者で賑わうそうです。
そんな都合が良すぎる話なんて、本当にあるのだろうか?
正直私は、当初はちょっと疑っておりましたが(失礼!)。
しかしこの『千日詣り』の歴史はかなり古いようで、平安末期頃に成立したという『古本説話集』という書物の第五十七「清水寺に二千度詣したる者双六に打ち入るる事」にも、以下のような不思議な話が伝えられています。
清水寺への千日詣りを2回行った若侍がいました。
ある時その若侍が、同僚の侍と賭け双六をして大敗してしまいました。
しかし若侍は、相手に支払うべき金品を持ち合わせていなかったので、
「俺が今渡せるのは、清水寺の千日詣りを二度やり遂げた功徳くらいだ」
と言いました。
周りの人々は、「うまく言い逃れをするつもりだな」と笑って見てましたが、当の同僚は真面目に受け止めて、
「では、その功徳をいただこう」
と答えました。若侍はほくそ笑みながら、
「では今すぐにでも渡そうか」
と言うと同僚は、
「いや、ここではいけない。3日後、私と一緒に清水寺に来てくれ。そして、私に功徳を譲ること書いた証文を持って、観音様にいきさつを申し上げて渡してほしい」
と答えました。
3日後、若侍は同僚に付いて清水寺に参拝しましたが、
「これで賭けの負けを帳消しにしてくれるとは、おめでたい奴だな」
と内心では小馬鹿にしていました。
そして本尊の観音様の前に立つと、僧侶に観音様へ事の次第を奏上してもらい、功徳を譲ることを書いた証文を同僚に渡しました。
同僚は喜んで証文を受け取ると、観音様を拝んで帰りました。
その後、若侍は思わぬ事件に巻き込まれて、捕らえられ、牢に入れられる羽目になってしまいました。
一方、功徳を譲り受けた方の同僚は、良家に婿入りし、地位と財産を得て幸せに暮らすことができたという話です。
……。
この話、いろいろ突っ込みたい点もないわけではないですが(笑)、ここではやめておきましょう。
つまり、古くからこのような話も伝わっているくらいに、「千日詣り」には長い歴史があるのです。
今回は、そんな功徳とご利益があるという「千日詣り」に行くと共に、清水寺の面白い不思議スポットのいくつかも巡ります。
京都・東山。
東大路通り、五条通り(国道1号線)、そして清水坂とが交わる交差点。
ご覧の通りこの付近は、わざわざ交通誘導の警備員が居なければならないほど、いつも多くの人や車で混雑しています。
さすが京都有数の観光地だけあります。
なお最寄りの交通機関には、
京都市営バスの
「清水道」停留所と、
京都バスの
「東山五条」停留所がありますが、他にもいろいろとアクセス方法があります。
アクセスについての詳細は、
こちらをご覧くださるといいでしょう。
ここから、清水焼の店が並ぶ
「茶碗坂」という道を上がっていくルートや。
そのまま五条坂を登っていくルートなど、いろいろあります。
こちらの方には、道沿いに土産物屋等多くの店が並びます。
途中、聖徳太子自作の阿弥陀如来像が祀られている宝徳寺や。
陸前高田市の被災松で作られた大日如来像が祀られている大日堂もあります(※
シリーズ第281回でもとりあげました)。
清水寺への入り口とも言うべき仁王門から中へ入ります。
清水寺塔頭・慈心院の随求堂(ずいぐどう)。
ここは、本尊・大随求菩薩の胎内に見立てた暗闇の中を進んで行く「胎内めぐり」でも有名です(
シリーズ第19回でもとりあげました)。
今回注目しましたのは、随求前の石塔です。
この石灯籠の火穴の奥には、平家の武将・平景清(たいらのかげきよ)が自分の爪で彫ったと伝えられる小さな観音像があるといわれています。
そこで、ちょっと覗いてみましたが……。
うーん。
残念ながら、よく見えませんし、よくわかりません。
読者の皆さんは、何か見えますか?
「晴天時にはまれに一部が見えるかも?」という程度だそうで、本当なのかどうかも。
この観音像は、「清水寺の七不思議」のひとつも数えられているそうですが、爪で石仏を彫るというだけでも、もの凄いというか、恐るべき根性です。
しかもこんな見えにくいし、手も入れられないような場所に、どうやって彫ったのか……確かに、不思議ではあります。
さらに進みます。
この建物は……「開山堂」だったかな?
岩手の南部風鈴が飾ってありました。
轟門(とどろきもん)。本尊が祀られている本堂と、外の世俗世界とを分かつ場所です。
ここから先は、拝観料が要ります。
轟門から中へ。
南部風鈴が。
本堂入り口前にある「鉄の錫杖(てつしゃくじょう)と高下駄」。
鉄で出来ているだけあって、非常に重いです。
「弁慶の錫杖と高下駄である」とも言われていますが、実際には明治中期に奈良・吉野の修験者から奉納されたものだそうです。
聞くところによれば、それぞれの重さは、高下駄は12キロ、小錫杖は14キロ、大錫杖は90キログラム以上あるそうです。こんなものを実際に持っていた人が居たというだけでも、驚きであり、不思議です。
「千日詣り」の期間中、本堂内陣にある秘仏を拝観できます。
そのためか、内陣の入り口には大勢の参拝者・観光客の行列が。
残念ながら内部は撮影禁止だったため、その秘仏の姿をお届けすることはできませんでしたが。
普段はまず目にすることの出来ない貴重な秘仏の数々をこの目で拝めたことは貴重な体験でした。
ご本尊を拝んだ後は、有名な清水の舞台へ。
清水舞台の上から見た、「音羽の滝」。
ところで「知る人ぞ知る」という話ですが。
この清水の舞台も、というか清水寺そのものも、もの凄い心霊スポットであり、いわく付きスポットでもあるのです。
「清水の舞台から飛び降りる」という諺にもあるように、「死ぬ覚悟で舞台から飛び降りて願掛けをすれば願いが叶う」という庶民信仰が広まったため、長い歴史の中で何百人という飛び降りがあったそうです。
それ以上に、長い歴史の中で幾度もの飢饉や戦乱があって、その度に出た無数の犠牲者の遺体が、清水の境内や舞台下の谷にうち捨てられていたそうです。
この清水舞台が創られたのは、「谷底から上がってくる遺体の腐敗臭を防ぐためであった」という説もあるくらいですから。
そういう、暗い歴史もある非常に怖い場所でもあるのです……。
さて、記事が結構な長さになったので、ここで一旦切ります。
ところで、記事の最初で紹介しました『古本説話集』の話みたいに、「甲斐性なし万年モテない男」の私の場合、清水の千日詣りに行っても、出世や良縁などには恵まれそうにもありません。
いえ、私の場合は出世や良縁を目的に参拝しているわけではないから、いいんですけどね(笑)。
それでは、また次回。
*清水寺へのアクセスについては
こちらを参照。
*清水寺のHP
http://www.kiyomizudera.or.jp/index.html
*京都妖怪探訪まとめページ
http://moon.ap.teacup.com/komichi/html/kyoutoyokai.htm
