前々回と
前回との続きで、北野天満宮の話をします。
今回は、北野天満宮の楼門から地主神社までをとりあげます。
前回の梅苑から出て、楼門前に戻ります。
ちなみにこの楼門の狛犬も、いい面構えをしています。
楼門から入れば、右手脇に手水舎と、ほぼ前方に見事な梅の木が。
さらにその下に、牛の像が。
天満宮を象徴するものが2つも揃っており、しかも珍しい赤い目をした牛の像です。
近くでよく見ると、優しい目をした牛の像です。
この牛の像と梅の木は人気スポットのひとつのようで、ここでは常に、カメラや携帯電話を手にして写真を撮る人たちの姿が見られます。
そこから道をまっすぐに進んで、宝物殿と神楽殿の前。
ここでも見事な梅が咲き誇っていました。
さらにまっすぐ、道を進んでいきます。
まだ満開というわけではありませんでしたが、私としましては五分咲きか七分咲きくらいの方がいいですめ。これは個人的な好みの問題でもあるのですが。
この参道から少し横にそれたところに、重要文化財でもある「三光門(中門)」があり、本殿へと続いています。
この門や本殿については、また後の回で詳しくとりあげることにします。
今はまず、楼門からの道をまっすぐに進むことにします。
本殿の東側付近にある牛の像と梅の木。
ここから東側の道を行くと、重要文化財の「東門」と、毎月1日・15日に献茶会が催される「明月舎」があるのですが、そこも今回は省略。
そのまままっすぐと進むことにします。
珍しい「車祓所」。
その名の通り、車のお祓いをしてくれるところのようですが、大きな寺社で時々見かけます。
そして、入り口、一の鳥居、楼門から続く道をまっすぐ進んだ突き当たりに立つ、摂末社「地主神社」です。
その前にも梅の木が。
ところでここで、「おや?ちょっとおかしいな」と気付かれた方や、何か違和感を感じた方もおられるかもしれませんね。
そうです。
入り口、楼門から……つまり正面玄関のような場所からまっすぐ行った場所が、本殿ではなく、摂末社のひとつに過ぎない場所だということです。
普通に考えれば、正面入り口からまっすぐ入った場所には、主祭神が祀られている本殿があるはずなのですが……。
このことは、
北野天満宮のHPの
「北野天満宮七不思議」のひとつ、「筋違いの本殿」としてあげられています。
実はこれには理由があります。
天満宮創祀、つまり菅原道真の霊がこの地に祀られたのが天暦元年(947年)ですが、この神社はそれより100年以上古い承和3年(836年)から祀られていたそうです。
つまり、主祭神となっている菅原道真よりもこの地主神社の方が、「先住民」「元々の土地神」というか、神様として「先輩格」にあたるのです。
そのため、後から入ってきた菅原道真を祀っている本殿は、その正面を避けて、そこからやや西寄りに建てられたのだと、伝えられています。
大阪天満宮の大将軍社と同じで、先住民(先住神?)だったのに後から入ってきた後輩格の神様に主祭神の座を奪われてしまったので、ある意味気の毒な神様かもしれません。
しかし、日本の寺社仏閣ではこうしたことはよく見られることのようです。
崇められている神仏が変わった時点で、(日本以外の国、文化・宗教圏では、特に一神教などの発想では)否定・排斥されてもおかしくないような異教の神様などが、摂末社とか地主神として遺され、祀られ続けている。
清水寺境内の地主神社や、
東寺境内の摂末社などのように。
これも、宗教的に大らかというか寛容な日本ならではの、多神教文化圏ならではの現象かもしれません。
そう考えると、面白いし、興味深いですね。
さて、記事がそこそこの長さになりましたので、今回はここまでにします。
では、またシリーズ次回に。
*北野天満宮へのアクセス・周辺地図は
こちらをご覧ください。
*北野天満宮のHP
http://kitanotenmangu.or.jp/
*京都妖怪探訪まとめページ
http://moon.ap.teacup.com/komichi/html/kyoutoyokai.htm
