「京都妖怪探訪(79):特別編その2・2011年霊場魔所への初詣(その2)」
妖怪スポット
どうも、本日はもう一本記事を書きます。
前回の続きで、京都の霊場・魔所をめぐる初詣です。
小野篁ゆかりの地をめぐったその次も、やはり「京都の魔界」を語る上での重要なキーパーソンゆかりの地をめぐることに。
ということで今回は、“日本の大魔王”崇徳上皇と、“日本史上最大の陰陽師”安倍晴明の地に詣でることにします。
シリーズ第6回にもとりあげた白峯神宮へ。
境内には、雪が降って溶けた後の水たまりが見られます。
舞殿の様子。
正月だけあって、たくさんのお供え物が並べられています。
まずは本殿にきちんと参拝をします。
その後、本殿を少し散策。
境内に大きなご神木が立っています。
このご神木の下をよくご覧ください。
「崇徳天皇欽歓之碑」という石碑と、伴緒社(とものおしゃ)という摂社が立っています。
この伴緒社は、1156年の保元の乱で、崇徳上皇側について戦った源為義・為朝親子を祀った社です。
源為朝は、弓などの武術の名手としても知られ、弓・武術の神様としても祀られています。
なお、西谷史の小説版『女神転生』シリーズでは、崇徳上皇と藤原頼長の怨霊と共に復活し、最後には日本を壊滅させてしまうというエピソードが、私の印象に残っています(っと、こんな話は一部のマニア以外にはわからないでしょうね)。
白峯神宮の境内には、「オガタマノキ」というご神木もあります。
その名の由来は、「招霊(おきたま)」という言葉からだという説もあります。
このご神木は大きすぎて、一枚の写真では収まらないので、以下に3枚の写真で撮影しました。
神社などによく植えられる木で、白峯神宮にあるこの木が、京都市内で最大だそうです。
ところで最近、この白峯神宮は「戦争を行う時に、崇徳天皇の霊に祟られたり、邪魔されないようにするために、明治天皇の命によって創建された」という話を聞きました。
つまり、この神社は「帝国主義推進のために創建された神社」だったのです!
そんな話を聞けば、この神社に対する見方もちょっと変わってきます……。
その次は、白峯神宮のすぐ近く。
堀川御池の交差点を少し下った場所にある、陰陽師・安倍晴明ゆかりのあの場所。
もう何度も訪れた場所ですが、晴明神社です。
もう正月3ヶ日も過ぎた、平日の昼間だったのですが、さすがかの有名な安倍晴明ゆかりの神社。結構たくさんの参拝者や観光客の姿が見られました。
親子連れの姿も。
境内の中。
本殿前に何やら特別に台が設けられています。
こういうことろは、やはり正月だからでしょうか。
近寄って見たら、お賽銭を入れるための箱でした。
つまり、正月期間中は多くの参拝者が訪れ、いつもの賽銭箱に収まりきらないほど大量のお賽銭が入れられるから……でしょうね。
さすがは、安倍晴明のネームバリューにはすごいものがありますね。
シリーズ第63回でも紹介しました安倍晴明が念力により湧出させたという伝説の残る井戸、「晴明井」です。
毎年、「恵方」と呼ばれる縁起のいい方向(その歳の福を司る「歳徳神」という神様の居る方向)に口が向けられるそうです。
今年の「恵方」は……「酉」と「申」の間、つまり「西南西」ですね。
さて、京都の「異界」と「魔界」を語る上で欠かせないキーパーソンたちのうち、これで小野篁、崇徳院、安倍晴明のゆかりの寺社に詣でました。
あともう一人、京都の闇の世界を語る上で欠かせない人物。その人物に関連のある場所にも詣でることにしました。
さて、今回は長くなりましたので、また次回に。
*京都妖怪探訪まとめページ
http://moon.ap.teacup.com/komichi/html/kyoutoyokai.htm
