前回の続きで、“京の人形寺”宝鏡寺についての記事です。
今回は、今月14日に行われた宝鏡寺の人形供養祭についてとりあげます。
毎年10月14日に宝鏡寺では、盛大に人形供養祭が行われます。
幸いにも今年は、仕事が休みだったので参加することができました。
供養祭は御前10時半から開始されました。
私はその時間ほぼギリギリに到着しましたが、その頃には既に多くの参加者であふれかえっていました。
以下は、当日寺の門前で撮った写真ですが、いつもは静かなこの場所にも多くの自転車が並んでいます。
外国人観光客の姿も見えます。
もちろん、お寺の駐車場も既に満車状態でした。
門から境内に入ったら、これだけたくさんの参加者が。
外国人観光客・参拝者の姿も多数見られました。
ところで、人形を含む「生物・無機物を問わない万物の中には霊魂、もしくは霊が宿っている」とするアミニズムの考え方は、どちらかといえば日本的・東洋的な考え方だと私は思っていたのですが。
単なる偏見かもしれませんが、現代の西欧・欧米の人って、もっと(日本人などと比較して)合理的というか、唯物論的な考え方をする‥‥みたいなイメージを私は抱いていたのです。
もっとも、供養祭に参加していた外国人観光客の一人一人が、単に「日本の、京都の珍しい行事・お祭り」として見ていたのか、それとも「日本の、京都の文化」としてとらえていたのか、あるいは「祭りや文化の根本にあるアミニズムなどの日本人の世界観・宗教観なども理解した」上で、こうした祭事に出ていたのか。
もちろんいずれにせよ、それに対して私はどうこう論評するつもりはありませんが。
ただ、ちょっとばかしそんなことが気になりましたので。
‥‥っと、余談が過ぎました。
人形塚の前で読経が行われ、来賓の皆さんも献花などを行い、粛々と進行していきます。
豪華な着物を着た女性も、人形塚に何かお供えをし、拝んでいます。
人形祭で奉納舞をする、「島原の太夫(しまばらのたゆう)」と呼ばれる女性です。
「島原の太夫」と、人形祭の奉納舞については、また次回でとりあげます。
境内の一角に、たくさんの人形が並べられている場所がありました。
これは全て、ここで供養される人形でしょう。
よく見ると、実に多種多様な人形があります。
これだけ数も種類もたくさんの人形が並んでいると、実に壮観といいますか‥‥。
言い方は悪いかもしれませんが、ある種の怖さとか、迫力すらも感じます。
身代わり人形や、呪いのわら人形、大祓の人形(ひとがた)などに見られるように、古来より人形というものは、呪術的な要素も強かったものです。
古今東西、昔から現代に至るまで、意思や魂の宿った人形が織り成す話は伝承や昔話、創作や、怪談・都市伝説など数多く遺されています。
何千年もの連綿と受け継がれてきた、そんな人と人形との関わりの歴史が、人形というものに何か特別な思い入れを起こさせているのかもしれません。
焼香です。
一般参加者も、焼香に参加します。
もちろん私も参加しました。
今回供養される人形たち一体一体にも、ここに至るまでの歴史や人生(?)、持ち主や関わった人たちの思い出などが、直接目に見えなくても刻まれていることでしょう。
ふと、そんなことを考えていました。
では、今回はここまで。
次回は、本堂での奉納舞についての写真つき記事を書きます。
人形寺・宝鏡寺のホームページ
http://www.hokyoji.net/
*京都妖怪探訪まとめページ
http://moon.ap.teacup.com/komichi/html/kyoutoyokai.htm
