どうも。
前回から続いて、青蓮院門跡に行った時の記事です。
冒頭はの画像は、青蓮院門跡の敷地内から見た京都市の風景です。
まず、青蓮院門跡とは、青不動とは何かを簡単に説明しましょう。
天台宗の開祖・最澄(伝教大師)が比叡山延暦寺を開くにあたり、僧侶の住坊を幾つも作りましたが、その一つの「青蓮坊」が青蓮院の起源であると云われています。
また、浄土宗の祖法然上人や、浄土真宗の祖親鸞聖人にも理解を示し、延暦寺の抑圧から庇護致したこともあるそうです。さらに浄土真宗の祖親鸞聖人は、第三代門主・慈圓(慈鎮和尚、じちんかしょう)のもとで得度したため、青蓮院は同宗の聖地の一つともなっているそうです。
青不動明王とは何か。
密教において、宇宙の全てを司る存在が大日如来です。
その大日如来の化身でもあるのが不動明王です。
つまり、不動明王を拝むということは、宇宙の中心を拝むことになるのです。
不動明王は、青・黄・赤・白・黒の五色に配せられることがあり、その中でも青色は五色の不動明王の中でも最上位にあり、中心にあるとされています。
すなわち、青不動明王は「不動明王中の不動明王」という地位を占めております。
っと、以上は
青蓮院門跡のHPで知ったことですが。
まずは、客殿である華頂院(かちょういん)から。
入り口です。
場内にはこんな絵の描かれた戸もあります。
三十六歌仙の絵も飾ってあります。
床の間のようです。
以下は、小御所という建物へと続く廊下です。
この建物は、平安時代末は門主の居間だったそうです。江戸時代には後櫻町上皇が当院を仮御所として使われたこともあるという、由緒ある建物です。
なお、小御所内の撮影は禁止されていましたので、内部の画像はありません。
見事な絵があったのですが、読者の皆様にお見せできないのが残念です。
次は好文亭という建物です。
後櫻町上皇がここを仮御所として使われていた時代には、学問所として使われたこともあるという、由緒ある建物です。
私が訪れた時には閉まっていました。
ここは宸殿(しんでん)という場内で最も大きな建物です。
有縁の天皇及び歴代門主の御尊牌を祀ってあり、主要な法要はここで行われるそうです。
親鸞聖人が第三代門主慈圓により得度をした場所でもあり、「お得度の間」とも言われています。
青不動像もこの中で公開されていました。
しかしながら、やはり「場内撮影禁止」となっておりましたので、ここで青不動を読者の皆様にお見せすることはできません。残念ですが。
鐘楼です。
四脚門(御幸門)という門です。
出入り口付近まで戻ってきました。
以下は、9歳で得度した時の親鸞上人の像です。
ざっと寺院の場内を見渡してきました。
次回は、ここの見事な庭園についての記事を書こうと思います。
