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どうも、こんにちは。
今年(2022年、令和4年)も梅の季節を迎えましたので、毎年この時期恒例となりました
『霊場魔所の梅』シリーズの記事を書きたいと思います。
その第1回目は、平安京の霊的・呪術的な防御を担う霊場であり、現在は方除けなどの御利益がある神社として、なおかつ梅の名所としても有名な、
城南宮を取り上げ・・・るつもりでしたが、そこへ行く前に、というより、その中に梅の名所でもある霊場を見つけましたので、まずはそちらをとりあげることにしました。
それが、城南宮の境内に立つ、
菅原道真の霊を祀る「芹川天満宮」または「唐渡(からわたり)天満宮」と呼ばれる摂末社です。
まずはいつもの通りアクセスから。
最寄りの交通機関には、京都市営バスの
「城南宮」停留所と
「城南宮東口」停留所がありますが、今回は
「城南宮東口」停留所から行きます。
5〜10分ほど歩けば、城南宮の東側入口に着きます。
東口から入ってすぐの参道中に。
梅の花が咲き誇る小さな説末社が見えてきます。
どんな社だろうと見てみると。
「芹川神社」「唐渡天満宮」とあります。
こんなところも「天満宮」、菅原道真を祀っている神社が。
天満宮、菅原道真の象徴といえば、「牛」と「梅」。「牛」は見当たりませんでしたが、境内には白梅と紅梅が。
今年は特に、梅の種類によって開花状況にばらつきがあるように思います。
この時白梅は五分から七分くらい咲いていましたが、紅梅は蕾のものもあり、まだこれからという感じでしたね。
後ほどこの「芹川神社」「唐渡天満宮」について調べてみましたが。
天永2年(1111年)、城南宮の南にあった芹川村に勧請された天満宮で、学問や和歌の神様として信仰され、幕末に京都や伏見の人々によって石の鳥居や多数の和歌を奉納されたそうです。大正時代に現在の地に座されたとも伝えられています。
元は芹川村で祀られていたことから「芹川神社」「芹川天満宮」という名が付いたのはわかるのですが。
「唐渡天満宮」という名の由来は何か、という疑問がありました。
確かに菅原道真といえば、漢学者であり、唐とは少なからぬ縁がある人物ですが、遣唐大使に選ばれながら遣唐使を廃止した人物としても有名です。大陸に渡ったこともあったかな、と。
さらに「唐渡天満宮」の由来について調べますと、鎌倉時代に禅宗の僧侶の間に起った「菅原道真が宋に渡り禅を修めた」という渡唐(ととう)天神の信仰から来ているとか。
「えっ? 確かに菅原道真が和歌や関学だけでなく、弓道など様々な分野に優れた天才タイプの人物でしたが、禅まで修めていたの?」とか驚きましたが。
確か、鎌倉時代は禅宗信仰が盛んだった時代ですから、当時既に広く信仰されていた天神(菅原道真)と結びついて、渡唐信仰が生み出されたものと思いますが。
それにしても、天神信仰の面白いところは、最初は怨霊信仰から祟り神として恐れられていたのが、生前に学問や和歌に優れていたことから学問や和歌の神様という設定が追加された。さらに後世になると、農耕や火除け、さらには「本場で禅まで修めた」などの追加設定が次々と増やされ、ゲーム用語でいう
「チートキャラ」みたいになってしまった。
こういうところは、日本人が古来より抱き続けてきた偉人・英雄崇拝のあり方が顕れていて、なかなかに面白いし、興味深いと思いますね。
ところで、
2022年の目標のひとつ「本シリーズで新規スポットの記事を最低でも15以上、出来れば20以上書く」で、今回は4本目。目標達成まであと11本です。
今回はここまで。
シリーズ次回は
城南宮の梅の光景を巡ります。
*城南宮への地図・アクセスは
こちら。
*城南宮のHP
https://www.jonangu.com/
*『京都妖怪探訪』シリーズ
https://kyotoyokai.jp/
