「永観堂禅林寺の紅葉と見返り阿弥陀=惟喬親王伝説・前編 @ 京都妖怪探訪(661)」
季節の風景
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どうも、こんにちは。
今年も紅葉の季節になりましたので、例年通り
『霊場魔所の紅葉』をやりたいと思います。
神社仏閣だけでなく、妖怪伝承地、いわゆる心霊スポット等の曰く付きの地。
「そういう場所の紅葉こそ美しい」という信念(?)の下、今年もやります。
その第1回目では、弊ブログでも紹介したことがあり、なおかつ京都屈指の紅葉名所のひとつとしても名高い、
永観堂禅林寺をとりあげます。
何故、永観堂禅林寺を
『京都妖怪探訪』シリーズでとりあげるのですって?
実は、ここ永観堂禅林寺(以下、「永観堂」とします)のご本尊として有名な「みかえり阿弥陀像」には。というより、永観堂の成り立ちの影には、怨霊にもなったとされる悲運の皇太子の存在があります。
これは知る人ぞ知ることですが、今回はこの悲運の皇太子の存在に想いを馳せながら、永観堂の紅葉風景を巡りたいと思います。
過去記事の復習になりますが、まずはいつもの通りアクセスから。
最寄りの交通機関は
京都市営バス「南禅寺・永観堂道」停留所となります。
他にも、他のバス停留所や京都市営地下鉄からのアクセス方法もありますが、より詳細は
こちらを。
少し歩いて、山門へ。
拝観料を払って、山門より中へ。
この時、
以前訪れた時と比べて、正直色にむらがある・・・というか、以前ほど赤く染まりきれていないような気もしました。
これも近年の温暖化、暖冬化の影響だろうか、などと考えてしまいましたが。
ここで、永観堂禅林寺の歴史について。
仁寿3年(853年)、空海の高弟・真紹が、藤原関雄の邸宅跡を買い取って寺院としたことから始まります。
当初は真言宗の寺院だったそうですが、この古刹の名の由来ともなった永観律師以後は浄土教→浄土宗の寺院となったそうです。
さて、散策を続けます。
諸堂の中へ。
諸堂内から本堂へと進みます。
本堂に祀られているご本尊、阿弥陀如来立像は「見返り阿弥陀」とも呼ばれるように、後ろを振り返った姿をした姿で有名です。
「見返り阿弥陀」を直接撮影することは禁止されていましたので、
以前の記事に載せたポスターの写真で、「見返り阿弥陀」の姿をご覧ください。
永保2年(1082)、阿弥陀像が歩き出し、永観律師を先導し、振り返って「永観おそし」と言ったという伝説が遺されています。
それで振り返ったポーズのままになっているそうです。
この「見返り阿弥陀」像は実は、惟喬親王(これたかしんのう)という平安時代の皇族に似せて創られた、とする説があります。
惟喬親王は、才能や人望に恵まれながら、当時の権力者・藤原氏の都合の為、皇位を継承できずに無念の死を遂げたとされる人物で、
シリーズ第328回(惟喬神社)や、
第521回から
第523回まで(南禅院・無関普門禅師の妖怪退治伝説)で触れていますように、怨霊と化したとも伝えられる人物でもあります。
そして永観律師と惟喬親王との間にも、意外な関係があったとも伝えられるのですが・・・これについて詳細はまた後ほど。
本堂を出て、放生池、極楽橋の方へ。
さて、記事が少し長くなりましたので、今回はここまで。
続きはまた次回。
*永観堂禅林寺へのアクセス・周辺地図は
こちらをご覧下さい。
*永観堂禅林寺のHP
http://www.eikando.or.jp/index.html
*『京都妖怪探訪』まとめページ
https://kyotoyokai.jp/
