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どうも、こんにちは。
今回も今年の
『霊場魔所の紅葉シリーズ』。
前回続きで、京都の葬送地のひとつだった嵯峨野にある古刹で、紅葉名所のひとつでもある
宝筐院(ほうきょういん)の紅葉風景を巡ります。
本堂から出て更に庭を散策。
庭の奥の方に仏塔らしきものが。
手持ちの案内パンフレットで確認すると。
向かって右の五輪塔をは、あの
楠木正成(くすのき・まさしげ)の嫡男である、
楠木 正行(くすのき・まさつら)の首塚だと伝えられています。
向かって左の三層石塔は、
室町幕府二代将軍・足利義詮(あしかが・よしあきら)の墓だと伝えられています。
ここで「おや?」とか、「あれ?」っと思った人も居るかもしれませんね。
そうです。
仲良く墓を並べているかに見えること二人、父親同士が敵同士。元々は共に鎌倉幕府を打倒した戦友同士でしたが、後に敵対、最後は楠木正成が
足利尊氏に敗れて戦死したはずですが……。
さらに案内パンフレットを読むと。
正平3年・貞和4年(1348年)、楠木正行が四條畷の合戦で戦死すると、生前に縁があった黙庵禅師がこの寺にその首を葬った。後にこの話を聞いた義詮は、故・正行の人柄を評価し、自分も死後は隣に葬るように言い遺したそうです。
生前敵対関係にあった相手にそこまでの経緯を払えるとは、足利義詮という人物もなかなかの人物だったのでは、という気がしてきました。初代・尊氏や
三代・義満と比べたら、今ひとつ影が薄い印象があったのですが、これで義詮に対するイメージが変わりました。
このお二人は果たして、あちらの世界でうまくやっているだろうか、と少し気にはなりましたが。
紅葉の赤と銀杏の黄に覆われた庭をさらに歩きます。
おや?
紅葉以外の花も。
上から下まで見事な赤!
本当に来て良かったと思います。
今回はここまで。
また次回。
*宝筐院へのアクセス・周辺地図については
こちらを参照。
*宝筐院のHP
http://www.houkyouin.jp/index.html
*『京都妖怪探訪』シリーズまとめページ
http://moon.ap.teacup.com/komichi/html/kyoutoyokai.htm
