「西明寺の紅葉と智泉伝説(前編) @ 京都妖怪探訪(583)」
季節の風景
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どうも、こんにちは。
今年も紅葉の季節になりましたので、
前回に引き続き今回も、
『霊場魔所の紅葉シリーズ』の記事です。
古刹・神護寺を訪れる途中で訪れた京都・西明寺の紅葉風景をお届けします。
前回記事の続きで、清滝川にかかる橋から、西明寺へ。
拝観料払って中へ。
長い石段を上がって山門へ。
山門の前には見事な紅葉が。
ここは、天長9年(832年)、弘法大師こと空海の甥にして、十大弟子の一人である
智泉(ちせん)という人によって建立・開創された古刹だと伝えられています。
この智泉という人物、空海に「密教のことは智泉に任す」と言わせたほど聡明だった人物。
さらに若くして亡くなった時には、空海が「亡弟子智泉が為の達?文」という以下のような追悼文を書いたとされています。
(※一部抜粋)
哀(あわれ)なる哉、哀なる哉 哀れの中の哀れなり
悲しき哉、悲しき哉 悲しみの中の悲しみなり (中略)
哀なる哉、哀なる哉、復哀なる哉
悲しい哉 悲しい哉 重ねて悲しい哉
こういう文書に表された空海の嘆きぶりを見ると、智泉という人が、空海から深い信頼と愛情を寄せられていたがわかります。
そんな空海にも縁の深い霊場で、美しい紅葉光景を楽しめるのは、
『京都妖怪探訪』シリーズを続けてきた者としてが、大変な喜びです。
それにしても、今年の紅葉は一律に赤くは染まらず、ムラがみられるようですが……。
これはこれでいいと思いますね。
山門をくぐり、境内へ。
この辺りが一番、赤く染まっていたような……。
本堂へ。
なお、
『京都妖怪探訪』シリーズでとりあげるにふさわしく、空海ほどではないにしても、智泉にもいくつか不思議な伝説も遺されているのですが、それは次回の後編で引き続き紅葉風景を眺めながらでも。
今回はここまで。
また次回。
*西明寺へのアクセス・周辺地図については
こちらを参照。
*『京都妖怪探訪』シリーズまとめページ
http://moon.ap.teacup.com/komichi/html/kyoutoyokai.htm
