2005/7/8
「多数決の原理」
試験最終日の題材くらい明るいものをと、ちょっと躊躇もしたのですが、どうしても今のあなたに伝えておかなければならない気がして、この題材にさせてもらいました。試験中だったので、あなたにあまり関心が高かったとは思えませんが、ここ数年の懸案であった郵政民営化に関する衆議院採決が火曜日に行われたのです。このことについて細部を吟味しようというつもりが、私にはありません。そうではなく結果として五票という僅差での決着について、どうしても釈然としないものが残ることを伝えたいのです。
民主主義の大原則に多数決の原理というものがあります。何かの方向を決めるにあたって合理的だと言えます。特に所属する人間の数が増えれば、総意というのは理想ですが、現実的には全員が同じ意見でまとまることはないのですから、やはり多数決での決定というのは致し方ないことなのでしょう。 さらに現在の日本の大きな方針を決める機関として国会があります。国会は唯一の立法機関ですから、ここでしか新しい法案は決定されないのです。そして代議制を敷いているので、私たちの代わりに国会議員として国の舵取りを任されているというわけです。
ところがここのところ、政治というのがあまりに私たちの生活を初めとするあらゆる場面から縁遠いために、選挙をしても投票率は著しく低いものになっています。これは国政選挙に限ったことではなく、地方選挙にしても候補者の個性は感じられず、結果として有権者の関心を集められずに投票率は上がらないという状況があります。日本人の多くは、もしかすると政治家によって国の方向性が決まることはないと考えているのかもしれません。たとえば市長や県知事が替わったところで、自分たちの暮らしが格段に向上することはないわけですから、あまり政治に期待するのはよそうという発想になるのはうなずける面もありそうです。
そうなると相手も似たようなことを考えるのかもしれません。つまり政治家自身も自分たちの権利を守ることに必死になり、自分の国会での存在意義を明らかにすることに躍起になり、国民の代表としての意識に欠け、国民のためにという発想を持たなくなるのではないかと思うのです。ここのところ、国会の紛糾のキーワードは「民営化」だと言えます。今回の郵政民営化の前に、道路公団の民営化という問題がありました。ここでは第三者的な諮問機関が作られ、明確に今の実態を批判し、民営化することでいわゆる企業努力を促すべきだという意見が出されました。ここに登場し足を引っ張るのが、道路族と呼ばれる議員たちです。まさに自分たちの利権と存在意義を賭けて、そこに立ちはだかりました。
今回の郵政民営化を推進することで何が可能になるのかが不透明であるという意見があります。宅配業者があれだけ企業として成功しているのだから、郵便業だって、というのは理屈としては悪くはありませんが、営利目的になることで失われるサービスもあり、過疎に悩む自治体では頭を抱えるかもしれません。郵政公社が抱えている仕事が郵便だけではないというのも、問題を複雑にしています。とにかく今回の法案の可決に至る経緯が、国民という視点を欠いてしまっていることに、私は危機感を覚えるのです。前述の通り、政治に関心を示さない国民から、さらに政治を引き離す行為だと言えるからです。数さえそろえば何でも通ると言わんばかりの票読みの末の結論でした。政治がどこに向かうのか、私たちはそれをしっかり見定める必要があります。無関心は罪なのです。

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