2005/6/24
「慰霊の日」
昨日が何の日であったかをご存じでしょうか。ニュースや新聞を見る人は、何となく聞いたかもしれません。今年は終戦から六十年という節目の年です。終戦までの経緯は歴史の授業で、既にある程度は学んでいるでしょう。八月に入り、二発の原子力爆弾の投下をもって、ポツダム宣言を受託することとなったわけです。原爆の投下以前にも空襲こそあれ、実はいわゆる地上戦は本土では行われなかったのです。
あの太平洋戦争で唯一の地上戦が行われたのが、沖縄です。そしてその地上戦に一区切りがついたのが六十年前の昨日だったわけです。ですから昨日、沖縄では戦没者の慰霊祭が行われました。平和祈念公園の中に「平和の礎」と呼ばれる石碑が無数に並んでいます。沖縄戦で犠牲になった人たちの名前が刻まれています。沖縄はそろそろ梅雨が明けます。ということは六十年前の地上戦、沖縄は梅雨の最中で行われたことになります。関東よりも遙かに気温も湿度も高い中での消耗戦を、一般市民を盾に行われたのです。
連合軍が沖縄に上陸する直前、沖縄本島の中部を集中的に海上から攻撃を加えます。それは後に「鉄の暴風」と呼ばれ、沖縄の地形そのものを変えるほどの集中砲火でした。中部から上陸した連合軍に、日本軍も市民も南へと追いつめられていきます。平和祈念公園が置かれている地も沖縄戦終焉の地としての意味を持ちます。
日本軍は沖縄戦を「捨て石作戦」と呼びます。本土への攻撃を逃れるための、時間稼ぎとして位置づけられたのです。そして戦後も占領下にあって、次々と基地が作られていき、現在も日本の中の米軍基地の実に七五lが沖縄にあるのです。沖縄が琉球と呼ばれていた頃から、沖縄は日本に翻弄され続けているといっても言い過ぎではないでしょう。そのあたりについて、来年の日本史の時間に詳しく学んでもらえることを期待しています。
来年、あなたは十二月に修学旅行で沖縄を訪れる予定になっています。それを楽しみにしている人も多いことでしょう。しかし観光地としての、つまり青い空と澄んだ海という明るい沖縄のイメージだけを期待しないでください。かつて沖縄で何があったのか、今はどうなのか、そう言うことをしっかり学び、それを確認しに訪れるのだという目的を忘れずにいてください。決して遊びに行くのではないのです。
沖縄には「ガマ」と呼ばれる自然の洞穴があります。沖縄戦の際に、人々はそこに逃げ込みました。ところが追いつめられた日本兵は時にそこから人々を追い出し、自分たちの身を守るために使ったという報告もあります。この自然の防空壕は病院代わりになり、負傷兵が次々に運び込まれ、その兵士の傷の手当てをあなたと同年代の女学生がかり出されました。当時の女学生も六十年を経て、ずいぶんと高齢になりましたが、それでも私たちのために当時の厳しい状況を語って聞かせてくれます。そして彼女たちがローソク一本で走り回った「ガマ」へも入ります。梅雨のジメジメとした洞穴の中で、死臭すら漂っていたかもしれない環境下で耐えた人たちがいるのです。
そこにはあなたのイメージとは異なる沖縄があるかもしれません。しかしその現実もしくは歴史の上に、今の沖縄が存在します。今の日本が真に平和かと問われると、答えに窮する面がありますが、それでもあのとき、沖縄が経験した最悪の地獄絵図を考えれば、まだ今の日本を平和にしていくことはできるはずです。味方すら信用できないなんて世の中にしないように、慰霊の日の意味を深く噛みしめましょう。

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