追悼碑のある庭のお隣の家を「ほうせんかの家」と名づけ開放しています。  ● 毎週土曜日  13時から17時まで。  ● 順次、お料理を作ったり、映画をみたり、イベントを組みます。参加をお待ちしています。  訪問される方は、当ブログの予定をチェックして、来てください。 尚、日程が合わない方は、事前に申し込んでみて下さい。誰かが、あなたの都合に合わせれるかもしれません。  お待ちしています。   ===⇒ ⇒ ⇒ ⇒ ⇒ ⇒ ⇒ ⇒ ⇒   .   .   .   .   .   .   .   .   . 「関東大震災時に虐殺された朝鮮人の遺骨を発掘し追悼する会」のホームページも 参照下さい 「追悼する会の来歴など」や、「震災時の事件について」詳しく、わかり易く紹介させて頂いています。是非、立ち寄ってみてください https://housenka.jimdo.com

2014/8/1

追悼式 案内  追悼する会 会報

関東大震災91周年
 韓国・朝鮮人犠牲者追悼式 開催

         9月6日(土)



関東大震災から91年。今年も9月がめぐってきます。                  当時、「朝鮮人が暴動をおこす」などの流言蜚語がとび、それを信じた人たちによって、 関東一円で数千名の朝鮮人が殺害されました。
かつて、荒川に架かっていた旧四つ木橋周辺は、軍隊が出動して機関銃で撃ったこともあり、多くの犠牲者を出した場所の一つです。                                事件の後、その地には花や線香が手向けられたといいます。そうした、地域の方々の思いがあったので、追悼式33回目を迎えることができるのだと思います。
 どうぞ、皆様の追悼する気持ちをお寄せください。ご一緒しましょう。

13:00〜14:10 上映会《 場所:八広小学校2階音楽室 》
                    (学校に迷惑がかからぬよう願います)
    「隠された爪跡」1983年呉充功監督 (貴重な証言や映像が!)
    「追悼碑誕生」 2010年河童のいる川製作委員会 

14:30 追悼の花束作り       《場所: 荒川河川敷 雨 雨天時 吾嬬の里》

15:00 追悼式      追悼の歌:趙 博  《場所: 荒川河川敷雨雨天時 吾嬬の里》

17:00 ほうせんかの夕べ       《場所: 吾嬬の里》
        交流会:料理飲み物用意します。(参加費2千円、仔細次頁)    
         歌:趙 博 
                                      


   吾嬬の里=墨田区八広4-35-17  八広地域プラザ吾嬬(あずま)の里(元第5吾嬬小学校)
        京成 八広駅 徒歩 10分程 



 さて、追悼式に向けてです。

雨 雨天時は、追悼式会場が吾嬬(あずま)の里(p1地図)に変わります。
もろもろの変更については、当日、駅や追悼碑のあたりにお知らせします。変更がある場合、連絡用ほうせんかの電話(090-6563-1923)は、出づらくなります。ご了承ください。3〜4時は不通。

 「追悼の花束」は、お花を用意しますが、数に限りがありますので、理解ください。尚、終了時の持ち帰りに協力をお願いします。

 今年は、追悼の歌を 趙 博さんにお願いしました。
       曲名は ほうせんか、常緑樹、越えていこう です。

 今年も「プンムルぺ ウリト」の皆さんに、プンムルの場を開いて頂きます。数年前からは「ナグネ」の有志もプンムル参加して頂いています。また、昨年の追悼式に参加した福島で被災した女と支援者で「セットンの風」を立ち上げましたので一緒に叩きます。皆さんも興に乗ったら、プンムルしてください。

 例年、勝手連の方たちには、準備・運営をして頂いていますが、今年もまた 期待しています。 m(_ _)m

準備は 12時から、河川敷で始まります。
     来られる方はよろしくお願いします。
     お弁当の用意はありませんので、各自済ませて下さい。

 9月6日、まだまだ日差しが強いです。暑さ対策お忘れなきよう、お出掛けください。冷たい飲み物は用意します。
 

 また、車椅子など、手助けが必要な方、
    お申し出ください。



ほうせんかの夕べ 第4回     

☆ 9月6日(土)17時〜19時  
☆ 会場、吾嬬の里  地元の者たちが案内します
☆ 参加費 2,000円
  (ワンドリンク・料理付き)
   追加の飲み物は、有料にて販売します。
   お酒など、持ち込みも大いに歓迎。
 

 浪速のパギやん(趙博)がやってくる 
第1回 ほうせんかの夕べで、歌って頂いた趙博さんです。
 追悼式でしっとりと 追悼の歌を歌っていただいたあとは
 参加者の交流を深め、明日からのエネルギーを充電する夕べにしたい。
 どなたも、どなたも 参加ください

                   

 私たちのいかに「追悼し続ける」かという課題に、挑戦するような事件がまた起きた。群馬の県立公園に立つ、戦時中に動員・徴用された朝鮮人犠牲者の追悼碑「記憶 反省 そして友好」のことだ。

 「碑を守る会」は都市公園法に基づく県の決定に不服を申し立てる方針。歴史を捻じ曲げようとする、「歴史記憶喪失&良心遺棄願望症候群」の圧力に是非負けないで欲しいです。応援します。
私たちは、あらゆる排外差別主義をゆるしません。 (シン ミンジヤ)


 リボンリボンリボンリボンリボンリボンリボンリボンリボンリボン李松子さん
 1991年から2013年と23年もの間、追悼式やほうせんかの夕べで歌って頂きました。
 今年は「家族事情で歌えない」との連絡を頂きました。
 残念で、今年が最後になるとのメッセージと共に歌っていただきたかったのですが、叶いませんでした。
 様々な、迷惑を掛けることも しょっちゅうでした。
お詫びと感謝の気持ちで いっぱいです。ありがとうございました。
お元気で お過ごしください。

 毎年、追悼の歌を歌ってくださった李松子さんですが、昨年の追悼式が最後となりました。ご家庭の事情で無理はお願いできませんでした。「若い後輩の方たちもいるので、今後のためにも良いでしょう」と励ましのお手紙を頂きました。
追悼式30余年の歴史の中で、李松子さんの歌はいくつもの意味を持っていました。絹田幸惠が旧四ツ木橋での虐殺事件を知り、犠牲者追悼の相談に伺っていた近所のご住職方が読経くださっていた時代。輪が広がって、牧師さんかたも列席いただくことになった時、献花するだけにしました。その時、地元の方から「うちの姉はソプラノ歌手よ」と紹介されたのが李松子さんでした。
 李さんのお父さんは、川崎あたりで日本人親方の飯場で働いていて、朝鮮人襲撃の流言が伝わったとき、お父さんは「そんなことはないと思うが、万一来たら俺が説得するとから」と皆に話したそうです。しかし、その後起きたことは、日本人による朝鮮人迫害でした。親方は押し入れの布団の後ろに4日間お父さんを隠し、事態が収まらないので 船に乗せて逃がしました。
 付いたところは北海道、小樽だったそうです。(当会報65号)
  
 その後、追悼碑がない間、仮の祭壇を置いて、献花する列席者が終わるまで、繰り返し繰り返し「鳳仙花」を歌ってもらいました。
 歌が風に乗って、高い土手のむこうの町の人に届いて欲しいと本のタイトルにしました。
 ようやく、追悼碑が建立でき、昨年の90周年には、河川敷で「アメイジンググレイス」「麦畑」「鳳仙花」を歌って貰えたのです。23回目の追悼の歌でした。
 ありがとうございました。
 お元気で!私たちも、また 新しい追悼式を作っていきます。


                 
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