追悼碑のある庭のお隣の家を「ほうせんかの家」と名づけ開放しています。  ● 毎週土曜日  13時から17時まで。  ● 順次、お料理を作ったり、映画をみたり、イベントを組みます。参加をお待ちしています。  訪問される方は、当ブログの予定をチェックして、来てください。 尚、日程が合わない方は、事前に申し込んでみて下さい。誰かが、あなたの都合に合わせれるかもしれません。  お待ちしています。   ===⇒ ⇒ ⇒ ⇒ ⇒ ⇒ ⇒ ⇒ ⇒   .   .   .   .   .   .   .   .   . 「関東大震災時に虐殺された朝鮮人の遺骨を発掘し追悼する会」のホームページも 参照下さい 「追悼する会の来歴など」や、「震災時の事件について」詳しく、わかり易く紹介させて頂いています。是非、立ち寄ってみてください https://housenka.jimdo.com

 

追悼式報告 会報 NO。1  追悼する会 会報

9月5日の朝の追悼碑
1日から、沢山の方が訪れてくださいました。
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3年ぶりに風車が届きました。
式に参加出来ないので〜と、「風化させないための赤いかざくるま」を前日に届けてくれました。
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追悼碑にあいさつに集った方々
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河川敷に参加者みんなで作った追悼の花束
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報告:追悼式を終えて
 今年の9月5日は、「コロナ、熱中症、豪雨に対する、対策をお忘れないように重ねてお願いします」と朝からブログにあげ、追悼式の準備に入りました。
思いがけず大勢の手伝いの方々が来てくださり、雨にもならず、15時予定通り追悼式を開会することができました。荒川河川敷での追悼式は、今年39回目になります。
先ず主催者を代表して、西崎雅夫からご挨拶しました(p4)。今年は、当時の朝鮮人遺骨処理方針にふれ、旧四ツ木橋下手で行われた1923年11月2度の警察・憲兵らによる遺骨発掘・持ち去りが、この方針に則ったことだった事、古老たちの証言がその犠牲者たちの存在を明らかにしたことを伝えました。
 今年の追悼の歌は趙博さんに歌っていただきました。参列の方々にもお名前もわからない多くの犠牲者に、思いをはせていただければとお願いしました。
 趙博さんは、3年前の追悼式の時は「九月の空」を作ってきてくださったのですが、今年は「窓唇目耳足胸(そうしんもくじそっきょう)」という曲を作ってきてくださり、2曲続けて歌われました。
 俳優でもあるパギやんの迫力。97年前、追われ、問いただされた人の恐怖を思い起こさせます。
 この後に、「窓唇目耳足胸」の歌詞を採録しましたので、ぜひ、お読みいただきたいと思います。
 
 続いて、愼民子(シンミンジャ)さんから話を伺いました。愼さんは、(一社)ほうせんかの理事の一人であり、活動を共にしてきました。追悼式では、初めて語って頂きました。

 ここ例年、追悼式に参加下さっていた中国人犠牲者遺族ですが、今年は新型コロナ流行により来日されません。日本側の、中国人受難者を追悼する会・木野村さんに、遺族からのメッセージをお読みいただきました(p8)。荒川の下流・江東区大島町あたりで中国人虐殺が多かったので、荒川河川敷で行うこの追悼式に格別の思いを寄せてくださっていました。 
植民地・朝鮮とは違い、中国では帰国した虐殺体験者から被害状況を聞き取りできました。 700名以上の被害者氏名・住所・被害状況などを調査した名簿があり、1923年中に政府が調査団を日本に派遣し、翌年に日本政府は賠償の責任支出を決定しましたが、履行しないまま今に至っています。

 司会より各地で開かれる追悼式をご紹介し、犠牲となられた方々に心より哀悼の意を捧げました。
      司会の矢野恭子氏
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 続いて、早くからテント張りや会場設営・細かい追悼式の準備・追悼碑の前の案内や人知れずの警備などを担って下さった、多くの仲間たちにお礼を申し上げ、会場からも拍手が送られました。この方たちのおかげで、追悼式も39回となったのです。同時に、今年も念のため多めに用意しておいたリーフレットがなくなってしまい、悪条件の今年も300人を超える列席者で追悼式が開催されたことを報告しました(後で受付票のない人を数えたら、350人程の参加だったことがわかりました)。

 今年も、東京都の小池都知事は9月1日の横網町での朝鮮人犠牲者追悼式典にメッセージを寄せませんでした。ご存知の通り、今年の横網町での追悼式典には様々な攻防がありました。
 東京都が妨害集会と双方に誓約書を求めたのに対し、式典実行委員会が「おかしいじゃないか」と声明を出すと、賛同するネット署名は3万以上に広がり、都庁前で抗議集会ももたれる、各界から抗議声明も出るなかで、東京都は誓約書を撤回しました。また、昨年9月1日のそよ風等の集会の言動が、東京都の人権条例審査会でヘイトスピーチ認定を受けるなど、強力な巻き返しがありました。私たちも微力ながら、都知事宛要望書をハガキに作り、会報読者に賛同下さる方は投函を呼びかけました。今年、これらの活動に奮闘されたすべての方々に、会場からあたたかい連帯の拍手が送られました。
朝鮮人・中国人虐殺をなかったことにさせない、風化させない多くの方の思いが2020年はいっそう目に見えるようになったと思います。この大勢の努力が、97年たっても公的に謝罪も追悼されることもない、無念の犠牲者へのせめてもの追悼になればと思います。
 今年もご参加、ありがとうございました。
遠くからもお花代や手紙、ねぎらいのジュースなど送って下さった方々もありがとうござ
います。今年の追悼式は、若い方々の姿が目立ちました。本当に心強いです。
市民の手による追悼を続けていくため、ぜひとも来年の企画段階からの参加を
呼びかけ追悼式を終えました。引き続き、どうぞよろしくお願いいたします。
                                 

主催者挨拶
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       今年のあいさつは西崎雅夫氏でした。
97年目の追悼式が来ました。今年は例年以上に命の問題を誰もが深く考えたのではないでしょうか。
コロナウイルスは国境を越えて蔓延しました。逆説的にですが、「世界は一つ」と痛感させられました。そんな中、「コロナ差別」「自粛警察」が蔓延しています。これは、日本社会の現状をよく表していると言えます。同時に1923年の時点から日本社会は何も変わっていないことに改めて気づかされます。
 そんな今だからこそ「命の平等」を訴え続けなければならないのだと思います。世界中で今 “Black Lives Matter” が叫ばれています。当然のことです。だが日本に平等はないのです。日本政府は相変わらず朝鮮高校を無償化からはずし、朝鮮幼稚園もはずし、4月には朝鮮大学校生を学生緊急給付金対象からはずしました。絹田が目指し、私たちが目指してきたのはこんな社会ではなかったはずです。

 こうした日本社会の現状は、これまでの延長線上にあるものなのでしょう。朝鮮人犠牲者や遺族にとって、この97年はあまりにも長すぎました。加害国政府・行政に少しでも追悼・調査する姿勢が見られるのであればまだ救いもあるでしょう。でも事件に関する公的な調査が行なわれたことはなく、小池都知事は相変わらず朝鮮人犠牲者追悼式に追悼文を送ることを拒んでいます。
 犠牲者についてもいまだにわからないことだらけです。この荒川土手で殺され、河川敷に埋められ、掘り返された数十名〜百名の名前も遺骨の行方すらもわかりません。だがそれは単に長い年月が過ぎたからわからないのではない。日本政府が徹底して隠蔽したからです。当時の政府の朝鮮人遺骨処理方針は非人道そのものです。
「起訴セラレタル事件ニシテ鮮人ニ被害アルモノハ、速カニ其ノ遺骨ヲ不明ノ程度ニ始末スルコト」(朝鮮総督府警務局『関東地方震災ノ朝鮮ニ及ホシタル状況』1923年12月)

わからないことだらけのこの事件に光を当てたのは、絹田や私たちが出合った古老たちでした。
●内田さん(仮名):「1日の夕方、5時か6時ころその原っぱ(現東あずま公園・約2q南)に通っている東武線の踏み切りのところに憲兵隊が3人くらいやって来た。憲兵隊は蓮田のなかにピストルをドカンドカンと撃ちこんで「朝鮮人が井戸の中に薬物を投げた。かようなる朝鮮人は見たらば殺せ」と避難民に命令しました。一般の我々が扇動したのではなく、扇動したのは憲兵隊です。これは私がはっきりこの目で見て知ってます。」
●井伊さん(仮名):「荒川駅(現八広駅)の南の土手に、連れてきた朝鮮人を川のほうに向かせて並べ、兵隊が機関銃で撃ちました。撃たれると土手を外野(そとや)のほうへ転がり落ちるんですね。でも転がり落ちない人もいました。何人殺したでしょう。ずいぶん殺したですよ。
 私は穴を掘らされました。あとで石油をかけて焼いて埋めたんです。いやでした。ときどきこわい夢を見ました。」
 公的史料には決して出てこないこうした証言内容が伝えるものは、日本政府の公的な責任です。そして日本政府に公的な責任を取らせることは私たちの責任です。微力ではありますが、それでも私たちは今日ご参列の皆さんと共に今後も歩み続けることを誓って主催者挨拶とします。

2020年9月5日
関東大震災時に虐殺された朝鮮人の遺骨を発掘し追悼する会
一般社団法人ほうせんか

愼民子さんのお話
(在日韓国人2世、追悼する会/一般社団法人ほうせんか)
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 今日はみなさん、ようこそ。コロナがあり、熱中症があり、豪雨になるかもしれないこの悪状況の中で、こんなに大勢の方が集まって下さる方のおかげをもって、39回も続いたんだなと思っています。
 追悼式ではいつも裏方なので、こうして表に出るのが初めてで緊張しています。

 私は2世で日本で生まれて、日本で教育を受けて、ずっと日本で生きてきました。私が20歳のころ、品川だったのですが、同じ世代の仲間と出会うことができました。いろいろな歴史の勉強、私たちのおかれている状況、本国の南北の問題、私たちは何者なのかということを学び、そうした仲間と出会えて、私は本当に嬉しかったです。それまでそういうことを共に考えたり、学びあったりする仲間がいなかったので、とても嬉しかったのです。
 その時に、関東大震災の時のことも知ったんです。たくさんの朝鮮人が、悪いこともしていないのに、ただ朝鮮人というだけで殺されてしまったと言うことを知って、私は「殺される側の人間だ」そういう思いに駆られたんです。私は「殺される側の人間」であって、だから私は日本の学校や日本社会で生きづらかったんだと納得した。そういう20代でした。
 では、私は黙って殺されるのか。どうしたら良いんだろう。仲間と語らいました。そして私は殺されないために、生き抜くために、まず本名を名乗り、韓国人として朝鮮人として、日本社会の中で前向きに生きていくことで、私を殺さない人間を一人でも増やすことが大事なんだ、そのように結論づけました。
 この恐怖は、例えば近所のあの知りあいが、学校の友人が、同じ職場の人間がひとたび何かあれば同じ事が、私を、私の家族を、私の知りあいを殺すかもしれない。この恐怖はとても大きくて、この恐怖をいつも背中に背負って生きている、そんな感じでした。そして私の子どもも、同じように語るんです。同じ同胞の仲間と「俺たちは何かあったら同じように殺される」、そういう恐怖を語り合うと私は息子から言われて、私は「ああ、私は何も変える事ができなかったんだな」と思いました。
 それは今の町を歩いていても、「後ろからナイフで刺される」恐怖を感じるという同胞がいます。そのような恐怖が未だに同じようにあるのが、この社会。残念なことだと思います。そしてヘイトスピーチ、小池発言の中で、より一層恐怖を感じる人がいます。
 でも私はね、97年前とは違うと思っています。それは今もヘイトスピーチ、ヘイトクライムをやろうとする人がいる。でもそういう状況の中でも、たくさんのね、私たちを殺さない、殺させない、くり返してはいけないと思っている日本人が大勢いるという、この喜びは何事にも代えられない。私たちは97年前と確実に違う世界を、社会を持っているのではないかと思います。
 いろいろな所で話をしてくる中で、「関東大震災の遺族か?」と何度も質問されました。その度に在日は遺族であると答えてきました。在日韓国人であっても、朝鮮人であっても、たとえ帰化して日本国籍をとろうとも、どのような生き方をしようとも、やっぱり同じように遺族であると。
 私たちは「朝鮮人として、殺される側の人間だ」ということに違いはなくて、それを乗り越えての安心感を得ることが、私たちの一歩ずつの活動、運動、生活の中でこれを叶えることができてきたのかなと思います。それは、これからも継続しなくてはならない歩みでもあります。
 私たちが「殺される側の恐怖」を思ったとき、実は日本人たちも「殺してしまうかもしれない恐怖」、「事件をくり返してしまうかもしれない恐怖」をもった人たちがいることを知ったのがとっても大きな力となりました。とても力強く思っています。その人一人一人が今ここに集まっている方たちです。
 たくさんの人から、「コロナの中、追悼式をやるのか」、遠くから「行かれなくて残念だ」といろんなことを言ってくれる仲間が、友人がいました。今年も一杯お便りをいただいています。そういう人たちと一緒に、この社会をヘイトに負けない、ヘイトクライムに負けない、小池都知事が何を言おうとも、この歴史を変えることはできない、私たちはこの歴史を伝えていくことで、くり返さないことをこうして集って確認しあっているんだと思います。この素晴らしい集いに、一人一人の皆さんにお会いできたのは、とても嬉しく思います。
 ここでこの後、私たちは風物(プンムル)をやります。今年も30人位来ているでしょうか。この風物で一緒にやっているのは日本人がほとんどで、在日がなかなか生活に余裕がなくて遊ぶことができないのかなと残念に思いますが、日本人がほとんどです。犠牲者が韓国の田舎で子どものころ遊んでいたかもしれない、楽器を叩いたかもしれない、一緒に踊ったかもしれない。そういう風物をここで行うことで、犠牲者たちを弔うことになるのかなと思って集まっています。
 私は追悼式ではじめて風物をやったとき、笑うことができなかった。思いがちょっと募りまして。でも、この場の目的がもう一つ、未来をどういう社会にしていくのかという目的をもった追悼式であり、風物であるので、ぜひ一緒に、共に遊んでいただければと思います。
最後に、この春に立ち上げた「ヘイトスピーチを許さないすみだの会(仮称)」からのお願いです。墨田区で昨年9月15日に日本第一党というグループとの名の下に桜井誠以下200人程集まり、口汚いヘイトスピーチをまき散らしました。ヘイトスピーチをすることがはっきりしている団体なのに、なぜ公園の許可を出したのか、公道をデモする許可を出したのか、私たちは憤りをもって墨田区にお話をして、理解をしてもらっています。
 そしてもう一歩踏み込んで、「すべての差別を許さない人権条例制定求める陳情」を9月2日、墨田区議会に出してきました。「ヘイトスピーチを許さない」という思いを区議会に届けるため、墨田区民の方、墨田区で働いている方、ぜひここでお願いしてお名前と住所を記していってほしいと思います。
「ヘイトスピーチ・ヘイトクライムを墨田区で許さないんだ。地震があっても、何があっても同じ事をくり返させないんだ」ということを伝える第一歩になるかと思います。ぜひご協力をお願いいたします。ありがとうございました。

中国人犠牲者遺族からのメッセージ

関東大震災97周年韓国・朝鮮人犠牲者追悼式へのご挨拶(2020年9月5日)
1923年関東大震災下で虐殺された中国人受難者遺族聯合会(準)
 韓国・朝鮮の皆様、ご臨席の皆様
 97年前関東大震災で故なく虐殺された中国人労働者の先祖と朝鮮人のご先祖を偲び、被害者遺族として、虐殺された先祖の方々に対して深い哀悼の意を表します。
 新型コロナ感染症のために、受難の地に赴くことができないとはいえ、私たちは決して故なく虐殺された先祖を忘れるものではありません。
 毎年9月に被害にあった中国人の遺族と朝鮮人の友人がこのように追悼式を行うのは特別の意義があると思います。私たちはさらに関係を深め、さらに交流し資料をともに享受したいと思います。
 私たちが、この思い起こすに心が痛む歴史を取り上げるのは、憎しみのためではなく、歴史の教訓を学び、過去の轍を踏まないようにするためであり、中韓日人民が平和を享受するためです。
遺族として、私たちが現在推進している活動は、すでに狭い家庭内の感情を超越し、公平、正義を考えているのです。友人のみなさん、ともに努力しましょう。
主催者の皆様方に感謝します。各界の関係者のみなさまに感謝します。
           *連絡先 関東大震災中国人受難者を追悼する会 
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2020/10/4

追悼式報告 NO.3 参加者から  追悼する会 会報

参加者から感想を頂きました。紹介します。



私は昨年に続いて2回目の参加です。東京の西側、多摩地域にある多摩ニュータウンから友人たちと参加しました。
 
                         多摩市 江川美穂子

 初めて追悼式に出席しようと思ったきっかけは、昨年夏に佐渡でミンジャさんに会ってしまったことです。佐渡の「へっついの家」で福島の子どもたちの保養キャンプを関久雄さんらがやっておられて、初ボランティアでご飯作りに行ったら、そこにベテランボランティアのミンジャさんがいて、采配ぶりが素晴らしく感化されて帰ってきました。
その後、地元多摩市の市民グループ「多摩平和イベント実行委員会」で、加藤直樹さんを講師に学習会「九月、東京の路上で」を開催し、さらに年末にはミンジャさんに多摩まできてもらい、「コチュジャンを作る会」をして一年を締めくくりました。そのコチュジャンのおいしかったこと!絶品でした。その味が体に染み込むように、私の中にストンと何かが落ちたのです。ありがとう!!まさに、連帯は出会いから、ですね。

 追悼式で実際に荒川の河川敷に身を置いて感じたことは、人間が犯した過ちの恐ろしさ、そしてそこに集う人々の温かさ、でした。
 震災によって冷静さを失った時、流言で人間は虐殺などということができるものなのか。当時の世相や企みが加わると、とんでもないことが実際に起きてしまう。そして、それは誰かが操作すれば現代でも起こりうるのではないか…という恐怖感。
私たちは流されずに自分の頭で考えること、そうしないと差別はいとも簡単に作られてしまうんだということを肝に銘じなければ、と思いました。

 私は福岡の出身で、海のすぐ向こうは韓国です。祖先をさかのぼれば朝鮮半島からやってきた人間のDNAでできているのは間違いありません。植民地化して差別した愚かな日本の歴史が本当に恥ずかしい。
その黒歴史を忘れることなく、現代の諸問題にも異議申し立てをしつつ、また来年も地元の友人たちを誘って追悼式に参加させてもらおうと思いました。いただいたホウセンカの種から花が毎年咲き、広がっていきますように…。



毎年、助っ人に来て下さる、船橋のkさんから感想頂きました。

 今年は早くからいつもより大勢の方がお手伝いに来てくださったように感じました。
いつも思うことですが、準備も後片付けも、常連さんたちが皆、すばやくてきぱきと動いていて、いつも感心させられます。こういうところが、この追悼式の温かいいいところだと感じています。
 今年はコロナのため、参加者の方にお花(追悼の花束の)を持っていってもらえなかったのは、ちょっと残念でした。
 受け付けは、スタッフの皆さんがよくわかっていてくださるので、とてもスムーズにいったように思います。
 今年初めて参加したという方に話しかけられました。ラジオ(荻上チキ×加藤直樹)とか、さまざまなところから情報を聞き、行ってみたいと思ったそうです。やはり広報も大事だなあと思いました。
 そういえば、今年は、確かに若い方が目に入りました。いいことですよね! 若い人がいると参加しやすくなりますからねえ。若い方たちもよく手伝ってくださったのではないかと思います。

 追悼式に参加した方、出来なかった方、皆さんの感想をお待ちしています。
読んで下さり、ありがとうございました。
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2020/10/4

追悼式報告 NO.2追悼の歌・プンムル  追悼する会 会報

追悼式で歌ったパギやん自作の曲
   写真:ケント氏
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   写真:齊藤聰氏
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   写真:秋田氏
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窓唇目耳足胸(そうしんもくじそっきょう)     詩/曲・パギやん


窓唇目耳足胸 窓唇目耳足胸 窓唇目耳足胸
窓唇目耳足胸 窓唇目耳足胸 窓唇目耳足胸
窓唇目耳足胸 窓唇目耳足胸 …
窓を開けてください 朝の日差しを浴びたいから
唇が震えていますが 大丈夫
目は はっきりと 見えています
耳を澄ませましょう あの日の声を聞きたいから
足が覚束ないけど 大丈夫
胸は しっかりと 息を吸ってます

1923年9月1日 関東大震災という大地震によって
被災した人・190万、死亡または行方不明が10万5千
建物全壊11万棟、21万2千が全焼
地盤沈下、崖崩れ、津波の被害もありました
「東京全市火の海に化す」「日本橋、京橋、下谷、浅草、本所、深川、神田殆んど全滅死傷十数万」「電信、電話、電車、瓦斯、山手線全部途絶」「横浜市は全滅 死傷数万」「避難民餓死に迫る」「江東方面死体累々」「火ぜめの深川 生存者は餓死」「横浜灰となる あゝ東京」

「15円50銭」って言ってみろ
「ザジズゼゾ」って言ってみろ
「ガギグゲゴ」って言ってみろ
「座布団」って言ってみろ
「いろはにほへと」言ってみろ
「歴代天皇の名前」言ってみろ
「教育勅語」言ってみろ
「君が代」ここで歌ってみろ
「15円50銭」って言ってみろ
「15円50銭」って言ってみろ
「15円50銭」って言ってみろ
窓を閉じてほしい 昼の日差しが眩しいから
唇が震えて 言葉が出ない
目を閉じても見えた 絶叫する人々の姿
耳を澄ませなくても 慟哭の声が聞こえた
足を踏ん張って 立ち尽くす
胸が押しつぶされて 息が止まった

「15円50銭」って言ってみろ
「ザジズゼゾ」って言ってみろ
「ガギグゲゴ」って言ってみろ
「座布団」って言ってみろ
「いろはにほへと」言ってみろ
「歴代天皇の名前」言ってみろ
「教育勅語」言ってみろ
「君が代」ここで歌ってみろ
「15円50銭」って言ってみろ
「15円50銭」って言ってみろ
「15円50銭」って言ってみろ

窓はあの日から 今日まで開いたまま
唇がうたう歌も 凍てついて響かない
目を逸らしてはいけない 9月の惨劇から
耳に響いてくる 殺した者たちの声
足下には今も 殺された命、命、命…
胸が高鳴る 怒り 苦しみ 祈り

窓唇目耳足胸 窓唇目耳足胸 窓唇目耳足胸
窓唇目耳足胸 窓唇目耳足胸 窓唇目耳足胸
窓唇目耳足胸 窓唇目耳足胸 …

農旗「農者天下之大本」の下での プンムル

  写真:YAMA氏
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 コロナで 遠くからの方は参加できず残念がってましたが、35名が集まってのプンムル。
 追悼と 明日にむけての いいプンムルになりました。
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 沢山の方がプンムルを守るように、楽しんでいらした
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