追悼碑のある庭のお隣の家を「ほうせんかの家」と名づけ開放しています。  ● 毎週土曜日  13時から17時まで。  ● 順次、お料理を作ったり、映画をみたり、イベントを組みます。参加をお待ちしています。  訪問される方は、当ブログの予定をチェックして、来てください。 尚、日程が合わない方は、事前に申し込んでみて下さい。誰かが、あなたの都合に合わせれるかもしれません。  お待ちしています。   ===⇒ ⇒ ⇒ ⇒ ⇒ ⇒ ⇒ ⇒ ⇒   .   .   .   .   .   .   .   .   . 「関東大震災時に虐殺された朝鮮人の遺骨を発掘し追悼する会」のホームページも 参照下さい 「追悼する会の来歴など」や、「震災時の事件について」詳しく、わかり易く紹介させて頂いています。是非、立ち寄ってみてください https://housenka.jimdo.com

 

追悼式報告 会報 NO。1  追悼する会 会報

9月5日の朝の追悼碑
1日から、沢山の方が訪れてくださいました。
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3年ぶりに風車が届きました。
式に参加出来ないので〜と、「風化させないための赤いかざくるま」を前日に届けてくれました。
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追悼碑にあいさつに集った方々
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河川敷に参加者みんなで作った追悼の花束
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報告:追悼式を終えて
 今年の9月5日は、「コロナ、熱中症、豪雨に対する、対策をお忘れないように重ねてお願いします」と朝からブログにあげ、追悼式の準備に入りました。
思いがけず大勢の手伝いの方々が来てくださり、雨にもならず、15時予定通り追悼式を開会することができました。荒川河川敷での追悼式は、今年39回目になります。
先ず主催者を代表して、西崎雅夫からご挨拶しました(p4)。今年は、当時の朝鮮人遺骨処理方針にふれ、旧四ツ木橋下手で行われた1923年11月2度の警察・憲兵らによる遺骨発掘・持ち去りが、この方針に則ったことだった事、古老たちの証言がその犠牲者たちの存在を明らかにしたことを伝えました。
 今年の追悼の歌は趙博さんに歌っていただきました。参列の方々にもお名前もわからない多くの犠牲者に、思いをはせていただければとお願いしました。
 趙博さんは、3年前の追悼式の時は「九月の空」を作ってきてくださったのですが、今年は「窓唇目耳足胸(そうしんもくじそっきょう)」という曲を作ってきてくださり、2曲続けて歌われました。
 俳優でもあるパギやんの迫力。97年前、追われ、問いただされた人の恐怖を思い起こさせます。
 この後に、「窓唇目耳足胸」の歌詞を採録しましたので、ぜひ、お読みいただきたいと思います。
 
 続いて、愼民子(シンミンジャ)さんから話を伺いました。愼さんは、(一社)ほうせんかの理事の一人であり、活動を共にしてきました。追悼式では、初めて語って頂きました。

 ここ例年、追悼式に参加下さっていた中国人犠牲者遺族ですが、今年は新型コロナ流行により来日されません。日本側の、中国人受難者を追悼する会・木野村さんに、遺族からのメッセージをお読みいただきました(p8)。荒川の下流・江東区大島町あたりで中国人虐殺が多かったので、荒川河川敷で行うこの追悼式に格別の思いを寄せてくださっていました。 
植民地・朝鮮とは違い、中国では帰国した虐殺体験者から被害状況を聞き取りできました。 700名以上の被害者氏名・住所・被害状況などを調査した名簿があり、1923年中に政府が調査団を日本に派遣し、翌年に日本政府は賠償の責任支出を決定しましたが、履行しないまま今に至っています。

 司会より各地で開かれる追悼式をご紹介し、犠牲となられた方々に心より哀悼の意を捧げました。
      司会の矢野恭子氏
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 続いて、早くからテント張りや会場設営・細かい追悼式の準備・追悼碑の前の案内や人知れずの警備などを担って下さった、多くの仲間たちにお礼を申し上げ、会場からも拍手が送られました。この方たちのおかげで、追悼式も39回となったのです。同時に、今年も念のため多めに用意しておいたリーフレットがなくなってしまい、悪条件の今年も300人を超える列席者で追悼式が開催されたことを報告しました(後で受付票のない人を数えたら、350人程の参加だったことがわかりました)。

 今年も、東京都の小池都知事は9月1日の横網町での朝鮮人犠牲者追悼式典にメッセージを寄せませんでした。ご存知の通り、今年の横網町での追悼式典には様々な攻防がありました。
 東京都が妨害集会と双方に誓約書を求めたのに対し、式典実行委員会が「おかしいじゃないか」と声明を出すと、賛同するネット署名は3万以上に広がり、都庁前で抗議集会ももたれる、各界から抗議声明も出るなかで、東京都は誓約書を撤回しました。また、昨年9月1日のそよ風等の集会の言動が、東京都の人権条例審査会でヘイトスピーチ認定を受けるなど、強力な巻き返しがありました。私たちも微力ながら、都知事宛要望書をハガキに作り、会報読者に賛同下さる方は投函を呼びかけました。今年、これらの活動に奮闘されたすべての方々に、会場からあたたかい連帯の拍手が送られました。
朝鮮人・中国人虐殺をなかったことにさせない、風化させない多くの方の思いが2020年はいっそう目に見えるようになったと思います。この大勢の努力が、97年たっても公的に謝罪も追悼されることもない、無念の犠牲者へのせめてもの追悼になればと思います。
 今年もご参加、ありがとうございました。
遠くからもお花代や手紙、ねぎらいのジュースなど送って下さった方々もありがとうござ
います。今年の追悼式は、若い方々の姿が目立ちました。本当に心強いです。
市民の手による追悼を続けていくため、ぜひとも来年の企画段階からの参加を
呼びかけ追悼式を終えました。引き続き、どうぞよろしくお願いいたします。
                                 

主催者挨拶
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       今年のあいさつは西崎雅夫氏でした。
97年目の追悼式が来ました。今年は例年以上に命の問題を誰もが深く考えたのではないでしょうか。
コロナウイルスは国境を越えて蔓延しました。逆説的にですが、「世界は一つ」と痛感させられました。そんな中、「コロナ差別」「自粛警察」が蔓延しています。これは、日本社会の現状をよく表していると言えます。同時に1923年の時点から日本社会は何も変わっていないことに改めて気づかされます。
 そんな今だからこそ「命の平等」を訴え続けなければならないのだと思います。世界中で今 “Black Lives Matter” が叫ばれています。当然のことです。だが日本に平等はないのです。日本政府は相変わらず朝鮮高校を無償化からはずし、朝鮮幼稚園もはずし、4月には朝鮮大学校生を学生緊急給付金対象からはずしました。絹田が目指し、私たちが目指してきたのはこんな社会ではなかったはずです。

 こうした日本社会の現状は、これまでの延長線上にあるものなのでしょう。朝鮮人犠牲者や遺族にとって、この97年はあまりにも長すぎました。加害国政府・行政に少しでも追悼・調査する姿勢が見られるのであればまだ救いもあるでしょう。でも事件に関する公的な調査が行なわれたことはなく、小池都知事は相変わらず朝鮮人犠牲者追悼式に追悼文を送ることを拒んでいます。
 犠牲者についてもいまだにわからないことだらけです。この荒川土手で殺され、河川敷に埋められ、掘り返された数十名〜百名の名前も遺骨の行方すらもわかりません。だがそれは単に長い年月が過ぎたからわからないのではない。日本政府が徹底して隠蔽したからです。当時の政府の朝鮮人遺骨処理方針は非人道そのものです。
「起訴セラレタル事件ニシテ鮮人ニ被害アルモノハ、速カニ其ノ遺骨ヲ不明ノ程度ニ始末スルコト」(朝鮮総督府警務局『関東地方震災ノ朝鮮ニ及ホシタル状況』1923年12月)

わからないことだらけのこの事件に光を当てたのは、絹田や私たちが出合った古老たちでした。
●内田さん(仮名):「1日の夕方、5時か6時ころその原っぱ(現東あずま公園・約2q南)に通っている東武線の踏み切りのところに憲兵隊が3人くらいやって来た。憲兵隊は蓮田のなかにピストルをドカンドカンと撃ちこんで「朝鮮人が井戸の中に薬物を投げた。かようなる朝鮮人は見たらば殺せ」と避難民に命令しました。一般の我々が扇動したのではなく、扇動したのは憲兵隊です。これは私がはっきりこの目で見て知ってます。」
●井伊さん(仮名):「荒川駅(現八広駅)の南の土手に、連れてきた朝鮮人を川のほうに向かせて並べ、兵隊が機関銃で撃ちました。撃たれると土手を外野(そとや)のほうへ転がり落ちるんですね。でも転がり落ちない人もいました。何人殺したでしょう。ずいぶん殺したですよ。
 私は穴を掘らされました。あとで石油をかけて焼いて埋めたんです。いやでした。ときどきこわい夢を見ました。」
 公的史料には決して出てこないこうした証言内容が伝えるものは、日本政府の公的な責任です。そして日本政府に公的な責任を取らせることは私たちの責任です。微力ではありますが、それでも私たちは今日ご参列の皆さんと共に今後も歩み続けることを誓って主催者挨拶とします。

2020年9月5日
関東大震災時に虐殺された朝鮮人の遺骨を発掘し追悼する会
一般社団法人ほうせんか

愼民子さんのお話
(在日韓国人2世、追悼する会/一般社団法人ほうせんか)
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 今日はみなさん、ようこそ。コロナがあり、熱中症があり、豪雨になるかもしれないこの悪状況の中で、こんなに大勢の方が集まって下さる方のおかげをもって、39回も続いたんだなと思っています。
 追悼式ではいつも裏方なので、こうして表に出るのが初めてで緊張しています。

 私は2世で日本で生まれて、日本で教育を受けて、ずっと日本で生きてきました。私が20歳のころ、品川だったのですが、同じ世代の仲間と出会うことができました。いろいろな歴史の勉強、私たちのおかれている状況、本国の南北の問題、私たちは何者なのかということを学び、そうした仲間と出会えて、私は本当に嬉しかったです。それまでそういうことを共に考えたり、学びあったりする仲間がいなかったので、とても嬉しかったのです。
 その時に、関東大震災の時のことも知ったんです。たくさんの朝鮮人が、悪いこともしていないのに、ただ朝鮮人というだけで殺されてしまったと言うことを知って、私は「殺される側の人間だ」そういう思いに駆られたんです。私は「殺される側の人間」であって、だから私は日本の学校や日本社会で生きづらかったんだと納得した。そういう20代でした。
 では、私は黙って殺されるのか。どうしたら良いんだろう。仲間と語らいました。そして私は殺されないために、生き抜くために、まず本名を名乗り、韓国人として朝鮮人として、日本社会の中で前向きに生きていくことで、私を殺さない人間を一人でも増やすことが大事なんだ、そのように結論づけました。
 この恐怖は、例えば近所のあの知りあいが、学校の友人が、同じ職場の人間がひとたび何かあれば同じ事が、私を、私の家族を、私の知りあいを殺すかもしれない。この恐怖はとても大きくて、この恐怖をいつも背中に背負って生きている、そんな感じでした。そして私の子どもも、同じように語るんです。同じ同胞の仲間と「俺たちは何かあったら同じように殺される」、そういう恐怖を語り合うと私は息子から言われて、私は「ああ、私は何も変える事ができなかったんだな」と思いました。
 それは今の町を歩いていても、「後ろからナイフで刺される」恐怖を感じるという同胞がいます。そのような恐怖が未だに同じようにあるのが、この社会。残念なことだと思います。そしてヘイトスピーチ、小池発言の中で、より一層恐怖を感じる人がいます。
 でも私はね、97年前とは違うと思っています。それは今もヘイトスピーチ、ヘイトクライムをやろうとする人がいる。でもそういう状況の中でも、たくさんのね、私たちを殺さない、殺させない、くり返してはいけないと思っている日本人が大勢いるという、この喜びは何事にも代えられない。私たちは97年前と確実に違う世界を、社会を持っているのではないかと思います。
 いろいろな所で話をしてくる中で、「関東大震災の遺族か?」と何度も質問されました。その度に在日は遺族であると答えてきました。在日韓国人であっても、朝鮮人であっても、たとえ帰化して日本国籍をとろうとも、どのような生き方をしようとも、やっぱり同じように遺族であると。
 私たちは「朝鮮人として、殺される側の人間だ」ということに違いはなくて、それを乗り越えての安心感を得ることが、私たちの一歩ずつの活動、運動、生活の中でこれを叶えることができてきたのかなと思います。それは、これからも継続しなくてはならない歩みでもあります。
 私たちが「殺される側の恐怖」を思ったとき、実は日本人たちも「殺してしまうかもしれない恐怖」、「事件をくり返してしまうかもしれない恐怖」をもった人たちがいることを知ったのがとっても大きな力となりました。とても力強く思っています。その人一人一人が今ここに集まっている方たちです。
 たくさんの人から、「コロナの中、追悼式をやるのか」、遠くから「行かれなくて残念だ」といろんなことを言ってくれる仲間が、友人がいました。今年も一杯お便りをいただいています。そういう人たちと一緒に、この社会をヘイトに負けない、ヘイトクライムに負けない、小池都知事が何を言おうとも、この歴史を変えることはできない、私たちはこの歴史を伝えていくことで、くり返さないことをこうして集って確認しあっているんだと思います。この素晴らしい集いに、一人一人の皆さんにお会いできたのは、とても嬉しく思います。
 ここでこの後、私たちは風物(プンムル)をやります。今年も30人位来ているでしょうか。この風物で一緒にやっているのは日本人がほとんどで、在日がなかなか生活に余裕がなくて遊ぶことができないのかなと残念に思いますが、日本人がほとんどです。犠牲者が韓国の田舎で子どものころ遊んでいたかもしれない、楽器を叩いたかもしれない、一緒に踊ったかもしれない。そういう風物をここで行うことで、犠牲者たちを弔うことになるのかなと思って集まっています。
 私は追悼式ではじめて風物をやったとき、笑うことができなかった。思いがちょっと募りまして。でも、この場の目的がもう一つ、未来をどういう社会にしていくのかという目的をもった追悼式であり、風物であるので、ぜひ一緒に、共に遊んでいただければと思います。
最後に、この春に立ち上げた「ヘイトスピーチを許さないすみだの会(仮称)」からのお願いです。墨田区で昨年9月15日に日本第一党というグループとの名の下に桜井誠以下200人程集まり、口汚いヘイトスピーチをまき散らしました。ヘイトスピーチをすることがはっきりしている団体なのに、なぜ公園の許可を出したのか、公道をデモする許可を出したのか、私たちは憤りをもって墨田区にお話をして、理解をしてもらっています。
 そしてもう一歩踏み込んで、「すべての差別を許さない人権条例制定求める陳情」を9月2日、墨田区議会に出してきました。「ヘイトスピーチを許さない」という思いを区議会に届けるため、墨田区民の方、墨田区で働いている方、ぜひここでお願いしてお名前と住所を記していってほしいと思います。
「ヘイトスピーチ・ヘイトクライムを墨田区で許さないんだ。地震があっても、何があっても同じ事をくり返させないんだ」ということを伝える第一歩になるかと思います。ぜひご協力をお願いいたします。ありがとうございました。

中国人犠牲者遺族からのメッセージ

関東大震災97周年韓国・朝鮮人犠牲者追悼式へのご挨拶(2020年9月5日)
1923年関東大震災下で虐殺された中国人受難者遺族聯合会(準)
 韓国・朝鮮の皆様、ご臨席の皆様
 97年前関東大震災で故なく虐殺された中国人労働者の先祖と朝鮮人のご先祖を偲び、被害者遺族として、虐殺された先祖の方々に対して深い哀悼の意を表します。
 新型コロナ感染症のために、受難の地に赴くことができないとはいえ、私たちは決して故なく虐殺された先祖を忘れるものではありません。
 毎年9月に被害にあった中国人の遺族と朝鮮人の友人がこのように追悼式を行うのは特別の意義があると思います。私たちはさらに関係を深め、さらに交流し資料をともに享受したいと思います。
 私たちが、この思い起こすに心が痛む歴史を取り上げるのは、憎しみのためではなく、歴史の教訓を学び、過去の轍を踏まないようにするためであり、中韓日人民が平和を享受するためです。
遺族として、私たちが現在推進している活動は、すでに狭い家庭内の感情を超越し、公平、正義を考えているのです。友人のみなさん、ともに努力しましょう。
主催者の皆様方に感謝します。各界の関係者のみなさまに感謝します。
           *連絡先 関東大震災中国人受難者を追悼する会 
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2020/11/10

9月14日共同通信の記事  新聞記事から

共同通信からの記事を紹介します。
9月14日配信。数枚の写真が紹介されていますが、私の技術不足で、コーピーできません。
写真はありませんがいい記事です。


朝鮮人虐殺から97年、記憶の継承に妨害も
関東大震災直後、官憲の隠蔽で全貌見えず

2020/9/14 07:00 (JST)
©株式会社全国新聞ネット

 1923年に起きた関東大震災直後に軍や警察、自警団が虐殺した朝鮮人らを追悼する式典が、地震発生から97年となった9月1日、東京都墨田区の都立横網町公園にある追悼碑の前で行われた。昨年は式典が日本をおとしめるものだと主張する団体がヘイトスピーチを交えた妨害を行い、今年は都が式典開催に一時条件を付け、批判が出て撤回した。記憶を継承しようとする努力とそれを妨害する動きがせめぎ合う中、虐殺の全貌は当時の官憲による隠蔽(いんぺい)により、発生から100年を前にいまだに見えないと関係者は指摘する。(共同通信=粟倉義勝)

 ▽写真・読経

 「今年も小池百合子都知事はこの追悼式にメッセージをくださいませんでした。しかし自治体の首長たる知事が謝罪してこそ都民も同じように反省と謝罪、そしてこのような悲劇の事件を二度と起こさないと、決意に目覚めるというものです」

 コロナウイルス感染を警戒し一般参加を制限した今年の式典の読経には、小池知事への注文の言葉が入った。


 小池氏は2017年から、歴代知事が続けた追悼式への追悼文送付をやめた。殺人の被害者を天災による死者と区別しない姿勢で、虐殺の事実にも「さまざまな見方があり、歴史家がひもとくものだ」と評価を口にすることを避けている。

 同じ17年、追悼碑から数十メートル離れた場所で、虐殺の事実に疑念を呈する団体「そよ風」が追悼式と同じ時間帯に地元住民の慰霊を名目に集会を始めた。

 参加者らは1973年に建てられた追悼碑に刻まれた「6千余名にのぼる朝鮮人が尊い生命を奪われた」との文言を問題視する。被害者数を「233人」と記す公文書の存在を根拠に、6千人は捏造(ねつぞう)された数で、追悼式は日本人の名誉を傷つけていると主張する。昨年の集会は大音量のスピーカーを追悼式に向け、参加者が「不逞(ふてい)朝鮮人に身内を殺された日本人たち…」と口にした。

 被災地で虐殺の直前に飛び交った「朝鮮人が井戸に毒を入れた」「暴動を起こした」とのデマを下敷きに、加害と被害の側を逆転させた言葉で、東京都人権部は今年8月、都の条例に基づき審査した結果ヘイトスピーチにあたると公表した。



 だが、同じ都の公園緑地部はその約2週間後に、そよ風の今年の集会開催を許可している。同部は、ヘイトスピーチをしない、などの注意事項を守るとそよ風が約束したとし「公園管理者の立場では施設管理の安全が確保できると確認できれば許可は出す。(集会を行う)団体が差別的発言をしたかどうかは判断の対象ではない」と説明する。

横網町公園で開かれた「そよ風」の集会。左奥の横断幕には「東京都は朝鮮人6000人大虐殺の証拠を示せるのか」と書かれている=9月1日、東京都墨田区
 一方で公園緑地部は許可に先立ち、昨年のそよ風集会で注意事項に反した行動があったとして、そよ風と、朝鮮人追悼式典実行委員会の両方に「公園管理上支障となる行為は行わない」との誓約書の提出を求め、応じなければ公園使用を認めない姿勢を見せた。

 これに抗議が広がり、追悼式の開催許可を求め3万1千人超の署名や117人の知識人の連名の声明が出された。都は結局、誓約書要求を撤回し、追悼式開催も認めた。

 今年の式には米映画監督オリバー・ストーン氏や芥川賞作家、平野啓一郎氏らがメッセージを寄せた。そよ風の集会参加者は追悼式を非難し、ヘイトスピーチに反対する市民との間で終了後に怒号が飛んだが、声は追悼式には届かなかった。

 虐殺の史実を追うノンフィクション作家、加藤直樹氏は「ヘイトクライムの犠牲者の追悼式とヘイト活動家による妨害集会を、どちらもつぶせという方向に行きかねない(都の誓約書)要求は、そよ風の狙いでもあった。それをはね返せたのは大きい。都のヘイト認定が出たことも、多くの人が声を上げた結果だ」と追悼式後に話した。

 そよ風には、ヘイトスピーチ認定に関する受け止めなどを尋ねたが、内部で検討した結果だとして「取材は受けない」との返答があった。

 ▽100年の隠蔽

 そよ風側が論争の争点に据えようとする殺害された人の規模について、内閣府中央防災会議報告書は中国人や日本人も含め約10万5千人の震災死者の「1〜数%」と推定するだけだ。犠牲者の身元もほとんど分からない中、記録映画製作を通じ犠牲者7人の遺族13人を捜し当てた映画監督、呉充功(オ・チュンゴン)氏は「官憲による遺体の損壊と隠蔽が行われ、日本も韓国も政府が解明努力をしなかったことで被害の規模は今もつかめない。犠牲者一人一人がどのように殺されたのかを明らかにしなければならないのに」と話す。

横浜市西区にある「関東大震災殉難朝鮮人慰霊之碑」の前で行われた追悼会=9月5日
 東京都以上の数の人が軍に殺され遺体が隠された疑いがあると呉氏が指摘する神奈川県で調査を続ける市民団体の山本すみ子代表は9月5日朝、横浜市での追悼会で「100年に近づいても明らかにならない徹底した隠蔽」を克服し必ず解明しようと訴えた。


 5日午後には虐殺現場の一つ、墨田区の荒川河川敷で、調査に取り組んできた団体「ほうせんか」が続ける39回目の追悼式に例年と同じく300人以上が参加した。

 20代で虐殺を知ったという在日コリアン2世の慎民子(シン・ミンジャ)さん(70)がマイクを持った。

 「日本社会で自分は殺される側の人間だとの恐怖に駆られた。生き抜くために前向きに生き、私を殺さない人間を一人でも増やすことが大事だと結論づけた。今も後ろからナイフで刺される恐怖を感じる同胞がおり、ヘイトスピーチや小池発言でより一層の恐怖を感じる人がいる」


 静まりかえった会場で、慎さんは「でも私は、97年前とは違うと思う」と続けた。「こんなにたくさんの『殺さない、殺させない、繰り返してはいけない』と思う日本人がいる」。そうだ、と短い声が上がった。
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2020/10/4

追悼式報告 NO.3 参加者から  追悼する会 会報

参加者から感想を頂きました。紹介します。



私は昨年に続いて2回目の参加です。東京の西側、多摩地域にある多摩ニュータウンから友人たちと参加しました。
 
                         多摩市 江川美穂子

 初めて追悼式に出席しようと思ったきっかけは、昨年夏に佐渡でミンジャさんに会ってしまったことです。佐渡の「へっついの家」で福島の子どもたちの保養キャンプを関久雄さんらがやっておられて、初ボランティアでご飯作りに行ったら、そこにベテランボランティアのミンジャさんがいて、采配ぶりが素晴らしく感化されて帰ってきました。
その後、地元多摩市の市民グループ「多摩平和イベント実行委員会」で、加藤直樹さんを講師に学習会「九月、東京の路上で」を開催し、さらに年末にはミンジャさんに多摩まできてもらい、「コチュジャンを作る会」をして一年を締めくくりました。そのコチュジャンのおいしかったこと!絶品でした。その味が体に染み込むように、私の中にストンと何かが落ちたのです。ありがとう!!まさに、連帯は出会いから、ですね。

 追悼式で実際に荒川の河川敷に身を置いて感じたことは、人間が犯した過ちの恐ろしさ、そしてそこに集う人々の温かさ、でした。
 震災によって冷静さを失った時、流言で人間は虐殺などということができるものなのか。当時の世相や企みが加わると、とんでもないことが実際に起きてしまう。そして、それは誰かが操作すれば現代でも起こりうるのではないか…という恐怖感。
私たちは流されずに自分の頭で考えること、そうしないと差別はいとも簡単に作られてしまうんだということを肝に銘じなければ、と思いました。

 私は福岡の出身で、海のすぐ向こうは韓国です。祖先をさかのぼれば朝鮮半島からやってきた人間のDNAでできているのは間違いありません。植民地化して差別した愚かな日本の歴史が本当に恥ずかしい。
その黒歴史を忘れることなく、現代の諸問題にも異議申し立てをしつつ、また来年も地元の友人たちを誘って追悼式に参加させてもらおうと思いました。いただいたホウセンカの種から花が毎年咲き、広がっていきますように…。



毎年、助っ人に来て下さる、船橋のkさんから感想頂きました。

 今年は早くからいつもより大勢の方がお手伝いに来てくださったように感じました。
いつも思うことですが、準備も後片付けも、常連さんたちが皆、すばやくてきぱきと動いていて、いつも感心させられます。こういうところが、この追悼式の温かいいいところだと感じています。
 今年はコロナのため、参加者の方にお花(追悼の花束の)を持っていってもらえなかったのは、ちょっと残念でした。
 受け付けは、スタッフの皆さんがよくわかっていてくださるので、とてもスムーズにいったように思います。
 今年初めて参加したという方に話しかけられました。ラジオ(荻上チキ×加藤直樹)とか、さまざまなところから情報を聞き、行ってみたいと思ったそうです。やはり広報も大事だなあと思いました。
 そういえば、今年は、確かに若い方が目に入りました。いいことですよね! 若い人がいると参加しやすくなりますからねえ。若い方たちもよく手伝ってくださったのではないかと思います。

 追悼式に参加した方、出来なかった方、皆さんの感想をお待ちしています。
読んで下さり、ありがとうございました。
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